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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2014年12月31日

榛東村新井のろうばいの里を訪ねて

昨日12月30日地元紙上毛新聞に榛東村新井の大山袛神社周囲のろうばいの里のろうばいが咲いたと写真が載って居り、朝から庭の清掃、隠居部屋、自宅のガラス拭き、松飾りお供え迄急いで済ませて午後行って来ました。


二回尋ねてやっと着いたが、此処は小さい時から知って居た場所だった。覚えて居たのは笹熊の十二山であって、大山袛神社では無かった。行って見ると笹熊の集会所も有り大山袛神社「12様」との案内板も有った。神社には多くの石宮も祀られて居ました


ろうばいの花は未だ咲き始めで正月中旬ごろが見頃に成ると地元の人は云って居た。ろうばいの花越しに群馬県庁が良く見えていました


  


Posted by 林ちゃん at 05:22Comments(2)ドライブ

2014年12月30日

坂東33観音巡り第17番札所出流山満願寺を参詣

この日坂東33観音巡り第18番札所中禅寺立木観音を後にして、日光清滝インターから徳次郎インターを下りて、19番札所宇都宮大谷寺に行ったが年末休みで参詣出来ず誠に残念だったが続いて17番札所出流山満願寺を目指しました。



大谷寺には残念ながら参詣出来なかったが寺前の売店の方から店の裏に採石場跡に彫った観音様が有りますとお聞きして観賞、手を合わせて満願寺に向かいました。
満願寺に着く前、間違って林道に入って終ったが、杉の木が多く倒れて居て雪の為の倒木と見たが被害の大きさには驚いた。幸い人が居て少し通り過ぎたと教えられ引き返し無事第17番札所満願寺に到着できました。
第17番札所満願寺は真言宗知山派でご本尊は千手観世音菩薩、開祖は勝道上人、創立は天平神衛元年「765」この寺は子授け安産の観音として多くの参詣者が居るとの事でした。









この寺には多くの石神仏像が建立祀られて居ました。満願寺の参詣を済ませ予約して置いた宇都宮の宿に向かいましたが、暗く成らない内に宿へと思って居ましたが市内が混んで暗く成って終いました。この日の走行キロ数は366キロを記録しました。  


Posted by 林ちゃん at 05:54Comments(2)石神仏

2014年12月27日

坂東三十三観音巡り第18番札所中禅寺を参詣して

この日第20番札所益子観音西明寺より、中禅寺湖畔の第18番札所立木観音中禅寺に向かいました。途中懐かしい日光の杉並木を通り、いろは坂を通り心配して居た雪も無くスムースに到着一安心でした



中禅寺では、皆さんの願いを聴くお寺で有って、葬儀などはしませんとの説明でした。立木観音様の手から紐で繋がる様にして有り、その紐を触って祈願をして下さいとの説明で一緒に参拝した皆さんも祈願して居り、私は真剣に「ぴんぴんころり」を祈願しました。






此の中禅寺湖には季節の移ろいを観る為好く行って居りましたが、春夏秋だけで冬の中禅寺湖を観たのは初めてでした。水の色も紺碧、空も良く晴れて居て素晴らしい景観でした

本堂内では写真撮影は出来ず,参拝を済ませ景観を写真に収め乍ら境内を散策、身代わりこぶの木が有って皆さんこぶを撫でて居ました

参詣を済ませいろは坂を下って居たら道脇に二匹の鹿がゆうゆうと草を食んで居たので車の中から写真を撮ったが、こんな車通りの激しい道脇で草を食むとは驚きでした。日光連山や尾瀬沼では鹿が増え過ぎ食害の報道を耳にして居たのでなるほどなと思いました  


Posted by 林ちゃん at 06:03Comments(4)

2014年12月25日

坂東33観音巡り20番札所西明寺を訪ね

去る12月24日坂東33観音巡り第二十番札所西明寺を訪ねました。妻を伴いと念じて居ましたが、妻は最近足腰の調子が悪く、長距離、長時間のドライブには耐えられないし、あんたの目的の観音巡りの足を引っ張って終うから一人で廻ってと云われ、誠に残念だが一人で坂東33観音巡りをする事に決意しました


朝食を済ませて6時前出発,高速道を関越道、北関東道を経由、真岡で下りて一路西明寺へ。カーナビの案内で直行出来るのだから本当に有り難い時代だ。8時に現着。未だ早いと思ったが住職さん直々にストーブで
火を炊き、お茶を進めて呉れ恐縮した。120段の階段を上り本堂に着いた。住職さんの説明に従い本堂を参詣し、誰もおらず、撮影禁止の張り紙も無かったので仏様を写真に収めましたのでアップします。







多くの仏様にぴんぴんころりを祈願して、暫く茅葺工事もして居り、茅葺の建物と三重の塔のバランス、大きな槇の木、暫く境内を堪能して西明寺を後にしました。
  


Posted by 林ちゃん at 05:42Comments(2)石神仏

2014年12月23日

高崎市箕郷町柏木沢「本田」を散策して

先日高崎市箕郷町柏木沢本田地域を散策しました。
先ず赤城若御子神社を参詣しました。此の神社には二つの名前が有り柏木沢の総鎮守神社との事だが、赤城若御子神社と呼び、神社では鳥居に覚満神社と掲げられており、社前には元禄8年「1695年」天保9年「1838年」二対の石灯篭と狛犬が並び重厚感を誇って居ました。神社の周囲には多くの石神仏が建立祀られて居ました。
富士山型の自然石も祀られて居り、浅間大神、秋葉大神,、天満宮、金比羅大神、他にも九基の石宮も祀られて歴史の重みを感じさせますし、神社西の道を地元の人は義経街道と呼んで居て、義経が奥州下りの際に当社に参拝したと伝えられ、義経街道と関わりを示す古文書を村の旧家で家宝として残されて居ると云う事です。





続いて小高い庚申塚を訪ねました。手前に蚕影碑が祀られて居ました。碑文によると明治20年5月23日一天にわかにかき曇り、耳をつんざく雷鳴と共に大粒の雹が押し寄せる如くに降り注ぎ、たちまち1尺以上も積もった。雹の過ぎた後麦、桑、野菜類等地上から一切の緑が無く成った。ちょうど蚕は三眠なのに飼う桑がない。致し方なく養蚕家相謀って丘に穴を掘り、蚕児を涙ながらに埋めた。上に蚕影山大神の石宮を祀り、蚕霊を慰めたと記されて居ました。又同時に百庚申も建てこの惨状を後世に伝えるためにこの丘には。、猿田彦大神、青面金剛塔も明治30年と記されて有り、双体と文字塔の道祖神も祀られて居ました。




蚕影碑の少し西には八幡宮が有って参詣しました。此の宮は本田、新屋敷の鎮守様との事で、本殿の裏には
愛宕、秋葉大権現、衣笠大臣、石尊大神、天満宮、金比羅宮の石神が立ち並び又大黒天像も祀られて居ました。
 八幡宮の道南には光明真言供養塔、千日惣回向塔,、女人供養の如意輪観音像等も並んで建立祀られて居ました。




 更に西に群馬用水に沿って進んで新屋敷の総庚申と呼ばれる木の宮に着きました。宮には狐様が沢山供えて有るが実は十二様との事。此処でも坂東、西国、秩父、百番供養塔「明和3年「1766年」が建立祀られて居ました。私は車で坂東33観音巡りを初願して来年何とか廻り切りたいと現在考えて居るが、その昔良く百番巡礼が出来たものだとつくずく思う次第です。
又写真の様に道端には百基も有るかと思う庚申文字塔、此れは広い敷地に祀られて有ったのを一カ所に祀ったのだと云う事です。また二匹の向き合ったさるの石宮も庚申で「元禄5年「1692年」の建立







又、この12様にまつわる実話だそうですが、明治初年に本田下に「カントウベエ」と云う修験者がいて其の頃暴れ山犬が居て、里に来ては馬を襲った。たまりかねた彼は槍を引っ提げて狼を追い、この12様の辺りで狼を差し止めた。形相物凄く狼は槍に乗って肩にまでかみついたが、ひるまず顎に手をかけて口をひっさき12様の側に埋めて帰った。ところがその後毎晩狼のけんぞくなのだろうかれの屋敷に来て吠えまわった。そこで埋めた山犬を掘り起して壺におさめて屋敷内に葬った処吠えなくなった。この槍は保渡田の塚越清家に保存されたと云う。

この日柏木沢本田から新屋敷の総庚申12様迄直線では六、七百メートル位と思うが、前に取材アップした不動寺、桜薬師もこの中に有って、この地域の石佛、石神の数の多さには驚かされる。如何にこの地域の信仰心の厚さ、深さを強く感じとれた
建立当時の先人に思いを馳せ、石神仏に向かい合って居ると時間の経過して居るのに我に帰り驚く事も度々有る。
こうして石神仏を写真に納め、パソコンに入力、アップする写真を選び、コメントを考えブログの下書きで打ち込んで居ると時間の経過が早く、気が着けば二三時間も経過して居て驚く事が多く、此れだけ夢中で一日が短く感じられる趣味が持て、パソコンを習得出来た事で幸福感にしたれて居る事が本当に嬉しい。
参考文献斉藤勲先生のみさと散策

  


Posted by 林ちゃん at 07:17Comments(2)石神仏

2014年12月21日

此の年末久し振りにスナックに誘われて

昨晩何時も大変お世話に成って居る長寿会若手に誘われ3時間飲み、歌い腹の底から楽しい思いをして来ました。
現役時代の年末には一晩に幾つも重なっての忘年会も有った身だが、82歳になる老人の隠居には年末一つも声がかからず、これも張り悪く思って居た処へのお誘い、喜んで参加させて戴きました。



スナックの名前も[のどじまん]で居合せたお客さんも一緒に成って手拍子を送って呉れ唄うのにも、気分は最高に良くなります。
ブログに載せるので写真撮っても良いですかと尋ねた処全員快くOKを出して呉れて今朝のアップに成り
ました。



今朝アップするのにも昨夜の余韻で気分よくアップ出来ました。昨夜お会いした皆さん有難う御座いました  


Posted by 林ちゃん at 05:20Comments(2)

2014年12月19日

もう12月も中旬を過ぎたと云うのに

私は毎日ブログにアップする題材を求めて出掛け無い日は殆ど有りません。
12月も中旬を過ぎたと云うのに、未だ柿がなって居り、ぴらかんさの実は殆んど食べられた様子が見えません。こんな事を見るのは覚えが有りません。



ぴらかんさ等は赤く色つき始めたなと思って居ると、たちまち多くのヒヨドリやムクドリがきて皆食べ尽して終いがっかりの事が多かった。だが今年は食べた様子も見られず其の儘見事な鈴なりの木が多いい。





木に止まり食べて居るのはほんの二、三羽、柿は熟れて落ち、木の柿の実は少なく成って居るが木の下には落ちた実が重なって居た。写真は12月17日全部撮った写真だが、兎に角鳥の姿は見られずどうしてだろうと思う。私の近郷だけなのだろうか、皆さんの近郷は如何ですか教えてください。  


Posted by 林ちゃん at 06:15Comments(4)ドライブ

2014年12月17日

一声会10年振りに旧交を温めて

昭和51年群馬県渋川市西高校は開校した。直後、渋川市、群馬郡、北群馬郡、吾妻郡各地からPTA本部役員候補が選出され、会議を重ね第一期PTA本部役員が選出された。開高校だけに校庭も寂しく植木も無く、花壇も無く、整備の為勤労奉仕が多く、私も植木も多く寄付して植栽して有り、現在でも有って嬉しい。
其れだけに当時のPTA本部役員の団結は固く、子供達は卒業しても一声会と命名して以来年に4、5回集まっては情報交換宿泊懇親会を重ね、時には一緒に何回も旅行もして居た仲だったが此処10年近く集まって居らず、一回集めてよと女性群から声がかかり不肖小生が招集を掛け今回のSUNおのがみでの宿泊懇親会に成った。

一声会のメンバーは12人だったが、殆どが80代男女一人ずつ他界、後3人体調不良や都合つかずで欠席、7人だけの宿泊懇親会で有ったが久し振りの一声会、宴会以外でも一部屋に集まり話は尽きない。素晴らしい一声会メンバーで有る。又、都合をつけ集まれる人だけでも良いから一年に1っ回は宿泊懇親会を開こうと約束して散会した。




昨日は一時雪が強く降って大降りになるかと心配したが直ぐ止んで余り積もらずほっとして表に出て見たが滑って危なかった。表からの写真も撮って見た。


  


Posted by 林ちゃん at 08:54Comments(6)温泉

2014年12月15日

国府白菜祭りを訪ねて

高崎市JAはぐくみ国府支所では毎年実施して居る国府白菜祭りを今年も12月13日『土』14日「日」に支所隣の国府小学校の校庭を駐車場にして盛大に開催された

毎年この国府白菜祭りを予定にして買いに来るリピーターが多く、初日は広い校庭も満車に成り入れない混雑ぶりでした。
国府白菜、国府人参だけで無く、各種の野菜、花の苗や、魚屋さんも出店、あゆの炭による塩焼き、群馬名物焼きまんじゅうの売店、チゲ鍋の無料配布など混みあって居ました。



  


Posted by 林ちゃん at 06:34Comments(0)催事

2014年12月13日

坂東33観音巡りを発願して

石神仏に興味を持ち、参詣してはアップする様に成って間もなく一年に成る。此の間西国、坂東、秩父百番供養塔を各地で見て来たが、解らなかった。此れは西国33カ所、秩父34カ所、坂東33カ所を合わせて百観音と呼ばれこれが百番供養塔だと最近に成り覚えた。私は間もなく82歳に成る。今の処車の運転には自信が有り、最近特に坂東33観音巡りをしてぴんぴんころりを祈願したく成り、12月12日意を決して坂東16番札所水沢観音に初願して来た。果たして何カ所の観音巡りが出来るか誠に不安が有るが、坂東33観音巡りの御朱印帳を求め早速御朱印を受けて続けて15番札所高崎市白岩観音をお参りして御朱印を戴いて来ました。



今迄、何回水沢寺には参詣した事か、然し御朱印を戴くと云う考えは持った事は無かった。少し初願が遅いと思うが出来るだけ多くの観音様にぴんぴんころりを祈願して廻る積もりで居ります。





白岩の長谷寺には山門前に庚申塔や女人講の如意輪観音像等の石造仏が多く建立祀られて居ました。
又大きな石の不動明王が祀られて居り、47トンも有ると云うこんなに大きい石像を如何にして中国から運べ、榛名の地まで輸送出来たのか驚きました。

  


Posted by 林ちゃん at 05:34Comments(0)

2014年12月11日

高崎市箕郷町生原中新田地区を散策して

先日高崎市箕郷町生原中新田地域を散策しました。
中新田一番南に善竜寺が有りますが前に取材アップして居り、通り過ぎて南から中新田に入りましたが、部落の入口を示すように道祖神が並んで建立されて居ました。
が、手前が文字塔、並んで建立されて居たのは明らかに双体道祖神と思われるが写真の通り破壊されて居ました。誰が何で破壊したのか腹が立ちました。
調べて見たら二神合唱型で宝暦12年「1762年」の建立、文字塔は明和2年「1765年」に建立されて居ました。


少し北には飯野家の墓所が有り参詣しました。墓所手前には多くの石仏が建立祀られて居ました。



飯野家の墓所には如意輪観音も祀られて居り、平成18年行年百歳で亡くなられた戦中陸軍少佐で勲5等を受賞した飯野光蔵氏も眠って居て偉い人が居た事も知りました。


飯野家の墓所前には穴薬師が祀られて居り、上は竹藪に成って居り古墳との事、中には石の薬師様が祀られて傍に回国僧が残していったという剥げた木のお地蔵様が置かれて居ました。



又北に進むと中新田四辻にホウソウ除けの神、疱瘡軽安守護神を祀った碑「安政5年「1859年」が立って居て、昔の人達にはホウソウは脅威だったのでしょう

北に進み県道の信号が見える処に、山の神と云われ多くの石神仏が建立祀られて居り参詣しました
天満大自在天神,水雨天吹風天天神舟入「万延2年「1861年」穂高大権現八海山大頭羅神王三笠山刀利夫「安政2年「1795年」阿留魔邪天狗御嶽山座主摩利支尊天「安政2年「1795年」等多くの山神が祀られて居り。山神信仰の講中で賑わった往時を偲びつつ、暫く参詣してきました





この日車では目に着かない物も眼に留まり赤い実が良くついた南天、たわわに実り黄色に色着いた柚子を写真に収めて来ました。


参考文献箕郷町石造文化財  


Posted by 林ちゃん at 06:57Comments(0)石神仏

2014年12月09日

後閑岩男氏群馬県総合表彰受賞祝賀会に招かれて

去る12月5日、ホテルメトロポリタン高崎にて開催された後閑岩男氏の「群馬県総合表彰受賞並びに農業振興船津賞受賞」のダブル受賞祝賀会に招かれて臨席。祝賀会には群馬県農政部長、高崎市農政部長、JA関係では歴代群馬県経済連本部長さん始め各役員さん方、地元JAはぐくみの理事長さん初め各役員の皆さん、国府果菜苗組合のご夫婦、岩男さんの同級生の皆さん等130余名臨席しての祝賀会で大盛況でした




岩男さんとは隣同士でお互い新宅新所、何とか成りたいとお互い切磋琢磨して
頑張りあった中で、岩男さんは農業に専念したが、小生は飲食業に転じ息子に後を委ね現在に至って居る。岩男さんの偉い処は一人でやるのでは無く、販路をJAと共に拡大、多くの仲間を募り組合を結成、指導して今日に至り、其れが各方面に認められ、先に農林大臣賞を受賞、今回のダブル受賞に成った訳で心からの大きな拍手を送ります。




  


Posted by 林ちゃん at 05:18Comments(0)催事

2014年12月06日

国府人参収穫に立ち会って

昔、旧群馬県群馬郡国府村では作付け面積も多く国府人参の栽培、採種もして全国的にも有名でした。が短根人参出現により作付けも激減、作付け者は西国分の 清水利春氏だけと成り幻の国府人参と云われ、きんぴら等は矢張り国府人参で無くてはと云う声も強く、近年国府野菜本舗によって売り出され同士会い集い作付面積を増やし増産と販売に力を入れて居ます。
今般国府人参収穫応援隊募集を高崎市広報に掲載し過日50名の応募を戴き、国府人参の収穫が行われました。

50名の応募を戴き、畑で収穫作業の説明とお願いをする地元役員さん
収穫作業は先ず葉を切り、トラクターによって堀り起されました






掘り起こされた国府人参を引き抜き作業、そしてA,B,C、Dと選別作業。結構人の手が必要の様です。






選別された国府人参を溝を掘って等級別に土に埋め込み貯蔵、順次掘り起こし加工、販売します。

  


Posted by 林ちゃん at 17:06Comments(0)催事

2014年12月05日

埼玉県秩父神社夜祭を参観して

去る12月3日埼玉県秩父神社の夜祭りを高崎市引間町妙見様祭典委員会の皆さんに便乗して参観して来ました。
秩父神社は元々引間妙見様の分祠であり、私は若い時同士と妙見様祭典委員会の創設に加担、何回も店のマイクロを運転秩父神社夜祭り参観に行ったものです。




現在は秩父神社に隣接の秩父鉄道バスにて送迎して戴き本当に遠くの方に駐車する事無く楽で、バスから降りたらお祭リ会場お囃子太鼓を打ち鳴らして居り
後は自由参観、私は明るい内に祭り会館を見て神社をゆっくり参観して名工左甚五郎作の神社周囲の彫刻を見、堪能しました。笠鉾の彫刻も素
晴らしかった



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本当に久し振りの夜祭り参観でしたが、前と変わらず多くの参観者で混みあって居ました。





秩父夜祭は日本三大曳山祭「京都祇園祭、飛騨高山祭」の一つとして知られ、寛文年間「300余年前」にすでに始められて居り笠鉾二基、屋台4基が牽引されます。
笠鉾は神道民俗の要素を備え、屋台は左右に芸座を出すと歌舞伎の舞台と成り秩父屋台のなり、秩父屋台の特徴の一つです。3日は朝より屋台、坂鉾を曳き廻し、屋台では曳き踊り、当番の屋台町では街路で屋台芝居ガ行われます。「この項「秩父祭り資料参照」

この晩けんらん豪華な出発模様も動画に収められたが、帰宅バス乗車を9時半にして発車しましたが、違法駐車の車で通れず「一時間以上待たされたし、酔っ払いにデジカメを落されたり二つも嫌な事も有った。

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Posted by 林ちゃん at 08:38Comments(0)

2014年12月03日

高幡不動尊金剛寺を訪ねて

土方歳三が眠る石田寺を後にしてこの日の予定行程最後の高幡不動尊金剛寺を訪ねました。関東三不動の一つに挙げられ高幡不動尊として親しまれて居り、開創以来千百余年経過して居るとの事、五重の塔始め多くの建造物が立ち並び紅葉も最盛期で素晴らしい紅葉でした。



本堂に上がって、真剣にこれからの平穏、無事を祈願しました。本堂内に掲げられていた紋章、「丸に剣かたばみ」は我が家の紋章と同じでして、ご本尊様の不動明王等を自由に写真を撮らせて居り驚きながらも私も写真に収めて来ました。
像:P1000441_4.jpg>

境内には土方歳三の大きな銅像が建立されて居ました。又多くの菊花も展示さて居ましたし、多くの観光客が居て、皆建物と紅葉のマッチをしきりに写真に収めていました。




今回兄貴の名代で参加させて戴いたが、ドライバー兼ガイドをして呉れた坂本氏、この多摩地域を知りつくして居り、一日でこれだけ多くの史跡等を案内、説明して戴き、お蔭で5回に分けてアップしましたが坂本氏の博識振りには只驚くと共に限りない感謝拍手を送らせて戴きます。本当に有難うご座いました。
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Posted by 林ちゃん at 06:42Comments(2)

2014年12月01日

新選組副長土方歳三が眠る石田寺を訪ねて

日野宿本陣を後にして土方歳三が眠る石田寺を訪ねました。石田寺の境内には樹齢400年を超えると云うカヤの木の大木が土方歳三の墓に被さる様に枝を広げて居ました



土方歳三のお墓をお参りして、益々狭い多摩地区から幕末の幕臣がどうして産まれたのかこの風土、ほんの一部解って来た思いだが、肌で感じ取れるには再度来なければ又本を読破しなければと思いました。




土方歳三のお墓参りを済ませて、今日最後の目的地、高幡不動尊金剛寺を目指して車は発車しました  


Posted by 林ちゃん at 09:41Comments(0)ドライブ

2014年12月01日

東京都日野市日野宿本陣を訪ねて

この日11月24日、近藤勇が眠る墓地から日野市日野宿本陣を訪ねました。
日野宿本陣は都内に現存する唯一の本陣建築で有って東京都指定史跡に成って居り、日野市内でも貴重な文化遺産との事です




建物内に入って見ると建造後百五十年も経過して居るとの事ですが、大黒下大黒柱、桁梁全て欅造り、襖戸は杉の一枚板、重厚で百五十年も建物を支えている見事な建築でした。




ここでは「佐藤道場」が有って後の新選組局長となる近藤勇や副長の土方歳三、沖田総司、井上源三郎たちが激しい稽古に励んだと云う事です



日野市立新選組のふるさと歴史館にも入館しましたが、日野市では多くの資料など展示して大いに新選組の故郷の売り込みに官民挙げて力を入れて居るのを強く感じました。
  


Posted by 林ちゃん at 04:54Comments(0)ドライブ