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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2015年11月10日

高崎市文化協会群馬支部第48回芸術文化祭2日目

2日目、この日は朝早く所用を済ませ早めにソシアスに赴いた。昨日カメラに収めた展示コーナー、改めて各展示を観賞、素晴らしい出来栄えに驚くばかりだった。
高崎市市民活動センターソシアスがこの地域に出来た事で、文化活動に携わる人ばかりでなく、どれ程この地域の活性化に役立って居るか、文教への参加申込が多いとお聞きして居り、各部屋を毎週練習にも開放して呉れるのだから誠に有り難い事だ。
午前中から芸能発表を見て居たが、女性軍の登壇出演が圧倒的に多く感じた。フラダンスのグループが多く出演して居たが80過ぎの人も居てお揃いの衣装で若々しく踊られて居たのには驚かされた。








午後一番で文化交流の茨城県大洗文化協議会の歓迎セレモニーが有り、先ず高崎市文化協会群馬支部長の石井節子氏より歓迎の挨拶、高崎市群馬支所長小泉喜代子氏の歓迎の挨拶、続いて大洗文化協会代表の返礼の挨拶が有って、大洗文教の6組のフラダンス、日舞と芸能発表が有り会場を埋め尽くした観客より大きな声援と拍手が鳴り響きました。





その後も日舞、レクダンス、太極拳、カラオケ等、また可愛いお子さんの日舞など有って会場より盛大な拍手が送られて居ました。
毎回出演し軽快な演奏で親しまれて居る「アンデスの風グループ」の出演には
会場の皆さんも手を叩き、演奏に呼応して会場一体となり軽快な演奏を楽しんで居りました。




最後は今年も町内選り抜きの人達に寄る和太鼓「いにしえの丘」『三山いぶき
「風に舞う」の三曲が演奏されたが、さすが選り抜きのメンバー和太鼓演奏のばちさばき、素晴らしさに酔いしれた観客の感動の拍手は暫く鳴り止まなかった。



詩人山村暮鳥の文化交流について資料に記載されて居りますので全文書き移しますので御読みいただければ嬉しいです。

詩人山村暮鳥は、明治17年1月10日、旧群馬町棟高の志村家に産まれました。家庭の事情で苦難の生活を送りながらも、向学心は旺盛で、16歳のとき、堤ケ丘小学校の代用教員を務めるかたわら、前橋のキリスト協会の英語夜学校に通い、英語と西洋の文化を学びました。
19歳で群馬を離れ、主にキリスト教伝道師として、青い森、秋田、宮城、福島,茨城などの教会に赴任しました。
また東京の聖三一神学校「現在の立教大学」「に通い、ここで文学に目覚め、詩、短歌、小説、随筆、随想、などすぐれた作品を残しました。とくに詩集【聖㈢陵榛「りょうさんせいはり」や雲等で、大正時代の日本詩壇を代表する詩人として活躍しました。
晩年は結核を患い、、大正8年6月、大洗町磯浜明神町の鬼坊裏別荘に住み、病気と貧しさと闘いながら文学活動を続け、大正13年12月8日永眠しました。40歳と云う短い人生でした。
暮鳥の産まれた旧群馬町と暮鳥が永眠した大洗町は、昭和53年10月30日
「文化友好の町」の契りを結びました。町や団体の交流、文化祭の作品交換展示を続け、友好の町締結20周年を契機として相互に舞台部門の交流も始まり、熱い人的親交を深めて来ました。平成20年には」節目の文化交流30年を迎え、
大洗町芸術文化祭に大型バスで初めて一泊で参加しました。
平成22年3月26日、大洗町長と高崎市長が新たに「地域間交流に関する協定書」に調印し、これまで以上に友好の絆を深めることを約束し合いました。平成23年3月には」北関東自動車道が全線開通し、一層の交流が期待されて居ります。
以上全文を書き移しました。

  


Posted by 林ちゃん at 05:21Comments(2)