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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2016年01月31日

縁起達磨の小林山[えの編」

縁起達磨の小林山

過日縁起達磨の小林山を参詣しました。平日にも関わらず、雪の解けない駐車場には多くの車が止めてあった。
私は小林山には苦い経験が有る。若気の至りで青年時代の有る年仲間数人で10キロ近くも離れて居る小林山に向けて高下駄を履いてからんからん大きな音を立てながら行きました。当時は寺近くに成ると身動き出来ない程混み合い段々足が痛く成り靴は持って行かなかったし裸足に成って参詣した事が有り今でもあの懲りた事を参詣の度に思い出します。









小林山の参詣を済ませて、達磨屋大手の大門屋に入店、さすがと思う大達磨、展示されて居た多くの達磨には目を見張りました。






大門屋の庭先には石の大きな達磨と作りたての達磨が干されて有りました。









[えの読み札」について
「だるま」は昔、中国河南省の少林寺で9年の間座禅を組んで修業した、南インド生まれの僧侶の姿から考え出されました。
室町時代「1400年代」縁起ものとして作られるようになったと伝えられ、起き上がり小法師ができました。
高崎市に有る小林山達磨寺は、1700年頃に建てられました。この寺では昔から人間の人生や運命にかかわる大切な星として北極星と北斗七星を崇め本堂におまつりして居ます。
此の絵札の達磨の上には、昔から方向を確認する時の基点になるといわれる北斗七星をイメージして六つの星をかかげ、一人一人が七つめの輝く星になるようにという思いが描かれた様です。高崎では江戸時代から願がかなった時に黒目を入れる『目なし達磨』が【福だるま】として盛んに作られる様に成りました。
どんな苦しみも乗り越え、転んでも達磨の様に起き上がって、進む勇気を持った人に成って欲しいと願う札ですとガイドブックには記して有りました












  


Posted by 林ちゃん at 08:28Comments(4)上毛カルタ巡り

2016年01月30日

上毛カルタ巡り「への編」その二

>;">「平和の使徒「つかい」新島襄其の二

[この日郡役所から新島襄旧宅へ。旧宅は安中市の施設に成って居り。係員さんが親切に説明して呉れました。上にも上がらせて戴き、種々見せて戴きました。台所は土間で竈も囲炉裏も有りました







群馬県の誇る偉人新島襄先生が街中のこんな粗末な狭い家に住まわれて居た事が有る現実に恐れ多く思えた新島襄先生旧宅の観賞でした
  


Posted by 林ちゃん at 08:13Comments(2)上毛カルタ巡り

2016年01月29日

「平和の使徒「つかい」新島襄」その一

「平和の使徒「つかい」新島襄」
この日、新島襄の足跡に触れる為、旧郡役所を訪ねた。丁度新島襄と八重のメモリアルコーナーが開催されて居て見学出来た。





私は詩吟を習って居り、丁度現在新島襄作の梅花を練習、覚えて居る最中ですが、其の梅花の詩も飾られて居て、何か嬉しく思いました。

郡役所の直ぐ隣に安中教会が有り、写真に収めさせて戴き、次に襄が住んだ旧宅が見られるとお聞きしたので行き方を教えて戴き旧宅に向いました

  


Posted by 林ちゃん at 08:18Comments(2)上毛カルタ巡り

2016年01月28日

中仙道しのぶ安中杉並木

中仙道しのぶ安中杉並木
この日碓氷峠の関所跡に続き、中仙道しのぶ安中杉並木を見て来た。一旦杉並木も何本も残って無く、寂しいものだったが、最近地元民の努力で植えた杉も段々大きく成って来て、一部杉並木に成って来た。この杉並木は保護して次の世に引き継ぎ長く保存すべきと強く思った。






一番下の写真は安中市役所で有るが安中杉並木の保護に努めて戴きたいと願う者です。  


Posted by 林ちゃん at 09:31Comments(2)上毛カルタ巡り

2016年01月27日

上毛カルタ巡り「うの編」 

>「碓氷峠の関所跡」
この日碓氷峠の関所跡を見に行き、旧18号で先に軽井沢の入口までドライブして回れ右して下った。標高の高い軽井沢両側の木々には霧氷で枯れ木に花が咲いた様に誠に綺麗だった。何とか写真に収めたかったが駐停車禁止の看板も見え、無理に止まっても追突される心配で停まれず写真に撮れず残念だったが眼鏡橋を写真に収めて下った。



最近長野県に行くのは殆ど高速道路で往復するので、旧中仙道坂本宿を経由した事は無かったが今回通って見た。宿の各家には屋号が書かれて居り、宿の面影が強く残って居た。



近くに鉄道文化村も有る旧中仙道碓井峠の関所跡に行った。ここで駄句を一句「雪被り往時偲のばす関所跡」関所跡の前が旧中山道で有るが車はすり替え出来ない狭さだった。


  


Posted by 林ちゃん at 09:08Comments(2)林ちゃんの動画

2016年01月26日

上毛カルタ巡り「かの編」

「関東と信越つなぐ高崎市」
高崎市は正に関東と信越つなぐ重要な要所である。鉄道は信越線、上越線、両毛線と高崎を経由して居るし、道路は国道18号線で信州へ。17号線にて新潟へ。」高速道路は関越高崎インターからは藤岡ジャンクションで信州へ。関越道は新潟へ。北関東道も高崎からだし、東名にも、東北道にもつながり誠に便利に成り、重要な交通の要衝に成って居る。



この日一番に関越高速高崎インターに行き、続いて高崎駅東口に行った。近年東口は高層建物が多く成り、東口の繁栄は目を見張るものが有る。正に関東と信越つなぐ高崎市の表玄関だ。


高崎市文化の殿堂音楽センターを写真に収め、高崎市庁舎21階展望室へ。





展望室から望む東西南北、確かに高層建物が多く見えるし、群馬、長野の県境に位置する浅間山、手に取る程近くに見えた。
間違いなく関東と信越つなぐ高崎市の読み札通りと思った
  


Posted by 林ちゃん at 09:47Comments(2)上毛カルタ巡り

2016年01月24日

上毛カルタ巡り「ひの編」

白衣観音慈悲の御手

1月21日、雪降り後で白衣観音に到着出来るか心配しながら午後行って見た。
さすが観光地高崎市の建設課で重機で除雪して居り,白衣観音まで到着出来た。観音様に近い土産店観音茶屋の奥さんが汗をかき乍ら除雪作業をして居り
ご苦労さんと声を掛けたら手を休めて話しを聞いて呉れた。
なにしろ60年振りの観音様の参詣である。今でも体内に入れるのか等伺うと親切に説明して呉れた。
雪の残る道、階段に気を使いつつ観音様の体内へ。体内には20体の仏像が祀られて居り、手を合わせ礼をしながら一歩一歩ゆっくり上り各階の小さな窓から外の眺めを写真に撮りながら最上階9階まで上った。肩の位置と説明が書いて有った。不思議な事に膝の痛さが全く無かったのには驚いた。


白衣観音は高崎市のシンボル、建設した井上氏の像と白衣観音が並び立って居ました。






体内に祀られて居た仏像の一部と小さな窓から望めた風景。


体内から下り、帰りに向い観音茶屋の前を行くと未だ観音茶屋の奥さんは除雪作業に汗を流して居た、手を止めてお茶でも如何ですかと声を掛けて呉れた。遠慮なくご馳走に成った有り難い事だ。80過ぎの方が9階まで上る人等居ないと褒められた。観音茶屋の観音最中は痛い処から食べると痛さが消えるとの説明、足腰の痛む妻にお土産に買って来た。
最後に洞窟観音に行って見たが、門が閉まって居り残念乍らお参り出来ずに帰宅しました。

  


Posted by 林ちゃん at 09:32Comments(2)上毛カルタ巡り

2016年01月22日

上毛カルタ巡り「ちの編」其の一

力あわせる2百万」
上毛カルタを初めて作った昭和22年には力あわせる160万の」読み札以後、昭和48年には170万、昭和52年には180万、昭和60年に190万、平成12年に200万人に成り書き換えて居り現在は若干200万人を割った様です。先日県庁昭和館に行って見た。昭和館では戦後群馬から総理大臣4人を輩出した写真が説明付きで掲載されて居り、写真を撮らせて戴きました。群馬が一番で4人、2位が山口県の3人との事でした。




上毛カルタ巡りゆかりの地、文化巡りのガイドマップには多くの政財界、画家、文人等のゆかりの地が掲載されて居り、出来るだけ多く巡りたいと思い其の一としました。順次巡りアップしたいと思って居ります。

群馬の総理大臣福田赳夫先生は私の養父が生前心酔して、福田先生の選挙には欠かせない弁士でした。その為息子の康夫先生が選挙中毎朝養父を迎えに我がぼろやに来て寒い時など炬燵に入って待って居ました。養父が亡く成った時は弟で参議院議員の福田宏一先生が葬儀委員長でお墓の字は福田赳夫先生の字で「後閑家の墓」と彫られて有ります。名誉に思う事は馬鹿野郎解散で有名な吉田茂元総理の愛用した杖を戴き表具して飾って有る事です。<
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Posted by 林ちゃん at 08:03Comments(2)上毛カルタ巡り

2016年01月20日

上毛カルタ巡り「すの編」

上毛カルタ巡り「すの編」
裾野は長し赤城山」赤城山は我が家から一歩裏に出れば我が菜園、菜園から雄大な裾野の長い赤城山を上野の国分寺史跡土塀越しに仰ぎながら毎回菜園作業をして居る。赤城山は其の日でも色々の姿を見せて呉れる。
先日初めて県庁舎32階展望台に上がり赤城山を撮って来た。又今日は雪の赤城山を写真に収めた。
赤城山は黒檜山「1828」地蔵岳、荒山、鍋割山、長七郎山などをまとめた呼び方で山の姿かたちを見れば裾野の長いのは一目瞭然です


上は県庁舎32階から望む赤城山、下は18日我が菜園から撮った雪の赤城山、いずれも裾野の長い赤城山です。
以下県庁舎32階から臨んだ東西南北の写真をアップします。




  


Posted by 林ちゃん at 10:48Comments(2)上毛カルタ巡り

2016年01月19日

巣鴨のとげ抜き地蔵に初詣

1月15日明治神宮参詣後続いて巣鴨のとげ抜き地蔵を参詣しました。小生は昔から話には聞いて居りましたが、参詣した事が無く正に初詣でです。とげぬき地蔵尊ご縁起抄」を読みますと「当寺曹洞宗萬頂山高岩寺は今を去る約400年前「慶長元年1596」江戸湯島に開かれ六十年後下谷屏風坂に移る。明治二十四年区画整理の為、当地北豊島郡巣鴨町に移転、今日に至る。ご本尊は元より霊験あらたかな「とげ抜き地蔵」として知られる延命地蔵菩薩で有ると記されて有ります。


上の写真洗い観音を洗う行列です.下の写真は順番が来て観音様を真剣に洗って居ました




御朱印を戴きたく話した処、三人の僧侶が朱印をお書きに成って居ましたが行列が長く時間の都合上残念でしたが戴かずでした。
門前の商店街も活況で大分混み合って居ました。小生は造り七色唐がらし中辛を買って来ました。
  


Posted by 林ちゃん at 08:19Comments(0)石神仏

2016年01月17日

明治神宮初詣でに行って

去る1月15日明治神宮に初詣に行って来ました。もう正月半ばなのに次から次に団体さんが参詣に来ており、駐車場は満杯状態、其れでも暫く待って駐車場にバスが入れ、参詣出来ました。
次の日は大学のセンター試験、多くの学生さんが絵馬に願い事を書いて居り、当家でも末の孫が翌日はセンター試験、小生も孫の合格祈願をして来ました。
何時もなら本殿前まで行きお賽銭は入れられるが,未だ内門に賽銭箱を並べて有って本殿には近ずけませんでした。
帰り際に成っても次から次に団体客が参詣に訪れ、さすが明治神宮と思いました。此の日は風も全く無く暖かく,初詣で日和でした。

明治神宮大型駐車場に暫く待って入れ駐車出来参詣出来ました。



酒こも被り四斗樽が陳列されて居り此れも見事でした。




本殿に一番近い内門に賽銭箱が並べられて居り、此処で賽銭を入れ諸々の祈願をして来ました。




久し振りに明治神宮の参詣初詣が出来て本当に嬉しく思いまし。  


Posted by 林ちゃん at 06:09Comments(2)石神仏

2016年01月15日

上毛カルタ巡りろの編

                                         「老農船津傳次平」
老農とは、農業技術の改良や普及に努めた優れた農業指導者の事を云うそうで正に傳次平翁の業績は素晴らしく老農である。
群馬県から毎年農業に貢献卓越した指導者を毎年一人に船津賞が授与されて居ます。
昨年平成27年には私が住む隣の後閑岩男氏が船津賞を授与されて居ります。首都圏では農業県群馬が誇る人物で現地に行っても彼の残した業績の効果が出て居るとお聞きしました。
先日私は一番に前橋市富士見支所を尋ねましたが振興課の対応は誠に親切で支所前には富士見村百周年記念に船津翁の像が建立され時の村長さんの書により大きな石碑も建立されて居ました。船津翁のお墓道順、横室の大かやの場所も地図をコピーして印までつけて呉れたので直ぐ解り大助かりでした。富士見支所振興課の皆さん誠に有難う御座いました。

支所前に建立されて居た舟津翁の像安物のデジカメで日陰で上手く撮れなかった。



舟津翁のお墓案内通りに行き直ぐ解った。旧富士見村でもカルタが有り、明治の老農船津翁と詠まれて居ります。お参りを済ませ教えて戴いた横室のかやの大木も見て来ました。支柱で支えて有りましたが余りの大きさに驚きました



  


Posted by 林ちゃん at 04:37Comments(2)上毛カルタ巡り

2016年01月13日

上毛カルタ巡り草津編

       [草津よいとこ薬の温泉「いでゆ」
草津湯畑周辺には駐車場が無く成って終い、写真を撮る間失礼して写真を撮らせて戴きました。この日ニュースで草津積雪2センチと伝えられて居りましたが、道路は全く苦にならず、次にスキー場に行って見ました。駐車場は満杯、人造雪で多くの人達がスキー、ボードを楽しんで居り外から網越しに写真に収めて来ました。

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四万から暮坂峠を経由長野原へ向かう途中路傍に道祖神が目に止まり写真に収めました


前回湯畑に行った時は直ぐ傍に駐車場が有りましたが、今回は近くになく足腰の痛む人には誠に不親切に成って居ました。



次にスキー場に行きましたが駐車場は満杯、人造雪で多くの人がスキー、ボードを楽しんで居り網越しに写真を撮りました。



草津道の駅で一休みして帰路に着きました。



八つ場ダムで沈む川原湯の引っ越し先を見て来ましたが既に営業を始めた温泉旅館もあり川原湯温泉駅、郵便局、交番等も出来て居り多くの住宅も立ち並びすっかり町に成って居ました  


Posted by 林ちゃん at 06:36Comments(2)上毛カルタ巡り

2016年01月11日

上毛カルタ巡り四万編其の2

積善館を後にして日向見に向いました。日向見には奥四万湖が有り前回来た時にはカモシカも見られたし、猿の群れも見られましたので奥四万湖を一周する積もりで行きましたが、湖畔の日帰り温泉の処で冬季閉鎖に成って居り、通行止めで残念ながら引き返し国宝の薬師堂に向いました



直ぐ上の写真冬季閉鎖湖畔の日帰り温泉、此処で道路も冬季閉鎖に成って居ました。


日向見薬師堂を参詣説明文によると戦国時代に創建され、現在の堂は慶長3年「1598」に藤原家定によって建立され、湯治客からは湯前薬師と呼ばれ写真奥が重文の薬師堂手前が町の重文と書いて有りました。


現在でも薬師前には足湯が有りましたし、午後3時まで男女入浴出来る湯も有りました。


毎度お世話になる温泉宿ですが温泉によれば貸し切り風呂は二千円も取る処が多いいがこの宿では無料で本当に有り難い。足の悪い妻は大風呂では危険で入れない。只予約制で無く、空室と貸し切り中の裏表の張り紙で貸し切り中は待って居なければで入浴までに時間が掛かったのが難点だった。

貸切風呂は綺麗で広く気持ちが良かった。

  


Posted by 林ちゃん at 05:23Comments(2)上毛カルタ巡り

2016年01月09日

上毛カルタ巡り四万編その1

「世のチリ洗う四万温泉」
1月7 日に二泊三日で四万日向見温泉に来ました。本日帰宅します。四万温泉には温泉口、山口、新湯、ゆずりは、日向見と5地区の温泉が四万川に沿って有る事を初めて知りました。
行きの当日は雪が舞って居り翌日は雪で見えなく成ると思い行きに四万の甌穴群を川まで下りて観賞、説明文には甌穴は川底の岩石の表面に形成された丸い穴、岩石の弱い部分に小石が入り,うず状の流れによってつくられる。四万には8個の甌穴が有り,大きいものは口径8メートル、深さ3,2メートルを超えると書いて有ります。






甌穴を後にして温泉口へよくこんな狭い道を通させて呉れるものだと思いながら積善館に向いました積善館は現存する最古の温泉旅館建築として登録有形文化財、県の重要文化財に指定されている




積善館の佇まい、矢張り重厚なものを感じました。素晴らしい佇まいで多くのお客さんを迎えて居ります。
  


Posted by 林ちゃん at 05:47Comments(4)上毛カルタ巡り

2016年01月08日

上毛カルタ巡りを決意して

昨年は坂東33観音巡りと秩父34観音巡りを自分の運転でと初願、幸いにも事故も無く結願に持ち込めた。2月で83歳を迎えるが今年は矢張り自分の運転で上毛カルタ巡りを決意し図書館から「上毛カルタ」ゆかりの地、文化巡りと云うガイドマップをお借りして読んだところ私は行った事も無い処や、知らなかった事が多く驚きました。今年は何とか順不同でも出来るだけ多くの上毛カルタゆかりの地、文化巡りをして群馬を知りたいと決意した次第です
[伊香保温泉日本の名湯」




伊香保と云えば先ず石段街、当日石段街の中程まで車で行き駐車をお願い伊香保神社まで上り伊香保神社に上毛カルタ巡りを事故の無い様祈願しました。膝痛の私にはきつい伊香保神社参詣でした。
現役時代どれ程伊香保温泉に行った事か図り知れない,ある年など「忘年会」新年会だけで10回も行った年も有った。先ずはいの一番に伊香保温泉と思い先日行って来ました。
徳富蘆花記念文学館、旧ハワイ王国公使別邸、関所、伊香保神社,石段街とひと回りして来たが、現役時代は会議の時間に間に合う様に行き、懇親会が終わり帰る人が居れば便乗して帰宅したり、或は暗い内に宿を後にすることが多かった為殆ど目に止めたり入館した事など無く今回改めて心して上毛カルタ巡りをして群馬学を身に着けたいと強く思いました。



千明仁成邸から寄贈され移築された徳富蘆花終焉の部屋まで見学出来るとは夢にも思わなかった





千明仁成邸にも何回も宿泊したのに、登り口に建立されていたハワイ公使別邸、関所を見学してこれらを目に止める事も出来ずに行き来して居た現役時代の忙しく動いた事も、思い出されました。


伊香保温泉からの帰り坂東33観音巡りを昨年初願した水沢寺を参詣、昨年末に坂東33観音巡りを結願出來tた報告と、上毛カルタ巡りの平安を祈願して帰宅しました。  


Posted by 林ちゃん at 05:49Comments(0)上毛カルタ巡り

2016年01月04日

2016年高崎市引間町拝賀式

元旦の朝9時より引間町鎮守様諏訪神社で毎年開催される拝賀式に出席、引間町では新築家屋が多く人口の増加が進んで居り、毎年拝賀式に新しく引間区民に成られた方の紹介が有り、今年も多くの方が紹介された。
区長さんの挨拶の後、地元市会議員さん、民生児童委員さんの挨拶が続きます。誰しもが猿年の今年の平穏を祈願しました


  


Posted by 林ちゃん at 07:19Comments(2)林ちゃんの動画

2016年01月03日

2016年初日の出を仰ぎて

大晦日に確認して置いた高崎市箕郷町善地梅林展望台五時半から始まった実践倫理宏正会の元朝式に出席、終わって帰宅せず善地梅林展望台に向かった。
未だ日の出可成り前なのに展望台には可成りの人が上がって居た。其れでも一番前に三脚を立て日の出を待った。風も無く穏やかで寒さは感じなあかった。
早くから東の空は朝焼け、只雲が一つも無く反射しないので何だか単純な日の出に成った。ぽちっと明かりが見えだしたと思ったら、その儘段々上りすっかり丸い眩しい太陽に成って終った感じだった。人間は我儘な物だと思った、暮に千葉県白浜の日の出の時は水平線の上に雲が有り残念に思い、初日の出には雲が無いと不平に思うのだから。


  


Posted by 林ちゃん at 14:26Comments(2)林ちゃんの動画

2016年01月02日

迎春の護摩焚きに立ち会い

毎年の事乍ら大晦日から元日の午前中は誠に忙しい。紅白歌合戦が終わると近くの妙見様の迎春護摩焚きに立ち会います。
護摩焚きは大晦日11時40分頃から始まり、新年の0時30分頃まで続きます。
途中で表に出て見ましたが、参詣客の列が段々長く成って行きます。時間に成ると鐘が鳴らされ新年の参詣が始まります。一時頃まで境内に居りましたが参詣者は増えるばかりでした。






  


Posted by 林ちゃん at 19:04Comments(2)林ちゃんの動画