2016年01月17日
明治神宮初詣でに行って
去る1月15日明治神宮に初詣に行って来ました。もう正月半ばなのに次から次に団体さんが参詣に来ており、駐車場は満杯状態、其れでも暫く待って駐車場にバスが入れ、参詣出来ました。
次の日は大学のセンター試験、多くの学生さんが絵馬に願い事を書いて居り、当家でも末の孫が翌日はセンター試験、小生も孫の合格祈願をして来ました。
何時もなら本殿前まで行きお賽銭は入れられるが,未だ内門に賽銭箱を並べて有って本殿には近ずけませんでした。
帰り際に成っても次から次に団体客が参詣に訪れ、さすが明治神宮と思いました。此の日は風も全く無く暖かく,初詣で日和でした。
明治神宮大型駐車場に暫く待って入れ駐車出来参詣出来ました。
酒こも被り四斗樽が陳列されて居り此れも見事でした。
本殿に一番近い内門に賽銭箱が並べられて居り、此処で賽銭を入れ諸々の祈願をして来ました。
久し振りに明治神宮の参詣初詣が出来て本当に嬉しく思いまし。
次の日は大学のセンター試験、多くの学生さんが絵馬に願い事を書いて居り、当家でも末の孫が翌日はセンター試験、小生も孫の合格祈願をして来ました。
何時もなら本殿前まで行きお賽銭は入れられるが,未だ内門に賽銭箱を並べて有って本殿には近ずけませんでした。
帰り際に成っても次から次に団体客が参詣に訪れ、さすが明治神宮と思いました。此の日は風も全く無く暖かく,初詣で日和でした。
明治神宮大型駐車場に暫く待って入れ駐車出来参詣出来ました。
酒こも被り四斗樽が陳列されて居り此れも見事でした。
本殿に一番近い内門に賽銭箱が並べられて居り、此処で賽銭を入れ諸々の祈願をして来ました。
久し振りに明治神宮の参詣初詣が出来て本当に嬉しく思いまし。
巣鴨のとげ抜き地蔵に初詣
坂東33観音巡り第33番札所補陀洛山那古寺『結願寺』
坂東33観音巡り第30番札所平野山高蔵寺を参詣
坂東33観音巡り第31番札所大悲山笠森寺を参詣
坂東33観音巡り第29番札所海上山千葉寺を参詣
坂東33観音巡り第4番札所海光山長谷寺を参詣
坂東33観音巡り第33番札所補陀洛山那古寺『結願寺』
坂東33観音巡り第30番札所平野山高蔵寺を参詣
坂東33観音巡り第31番札所大悲山笠森寺を参詣
坂東33観音巡り第29番札所海上山千葉寺を参詣
坂東33観音巡り第4番札所海光山長谷寺を参詣
Posted by 林ちゃん at 06:09│Comments(2)
│石神仏
この記事へのコメント
後閑様
新年のお参りに、明治神宮へ出かけられたとは、今年も素晴らしいスタートを切られたのではありませんか。
やはりスケールの大きさを窺わせます。群馬では考えられないほど多くの人が参詣するのですね。
「三院一社」の復活を訴えているのが、わが親友「武井昭」です。日本での社会秩序を作り上げる場合、郷土、部落、村落、という共同体を存続させるのに、わが国には、三院、つまり寺院・医院・学院の三院と、一社という神社をそれぞれ維持し大事に守り、こうべを垂れてきたといいます。
現在ではその形態が崩壊したか歪になってしまっています。この形態、体制を壊すのが戦後では民主的だと錯覚したのでしょう。
この崩壊は、人と人との繋がりまで壊してしまいました。特に都会では東京砂漠とまでいわれています。人は一人では生きていけません。繫がり、絆を求める動物ではないでしょうか。
大袈裟にいえば、この東京のど真ん中に、共同体のシンボルを作らざるを得ず、そこに「ふるさとの田舎」を持たざるを得ない心境なのではないでしょうか。
これからの日本は、血と涙を抜き取って、全く数字で出来上がるデジタル社会を作り上げていきます。止めることができない勢いです。
不思議なもので、そうであればあるほど、デジタルとは反対の人情味たっぷりの世界を求めるのではないでしょうか。そうした装置がなくなれば、益々「うつ病」が猛威を振るうことになります。明治神宮は賑わってほしいものです。
三院一社を大事にする社会が望まれます。
新年のお参りに、明治神宮へ出かけられたとは、今年も素晴らしいスタートを切られたのではありませんか。
やはりスケールの大きさを窺わせます。群馬では考えられないほど多くの人が参詣するのですね。
「三院一社」の復活を訴えているのが、わが親友「武井昭」です。日本での社会秩序を作り上げる場合、郷土、部落、村落、という共同体を存続させるのに、わが国には、三院、つまり寺院・医院・学院の三院と、一社という神社をそれぞれ維持し大事に守り、こうべを垂れてきたといいます。
現在ではその形態が崩壊したか歪になってしまっています。この形態、体制を壊すのが戦後では民主的だと錯覚したのでしょう。
この崩壊は、人と人との繋がりまで壊してしまいました。特に都会では東京砂漠とまでいわれています。人は一人では生きていけません。繫がり、絆を求める動物ではないでしょうか。
大袈裟にいえば、この東京のど真ん中に、共同体のシンボルを作らざるを得ず、そこに「ふるさとの田舎」を持たざるを得ない心境なのではないでしょうか。
これからの日本は、血と涙を抜き取って、全く数字で出来上がるデジタル社会を作り上げていきます。止めることができない勢いです。
不思議なもので、そうであればあるほど、デジタルとは反対の人情味たっぷりの世界を求めるのではないでしょうか。そうした装置がなくなれば、益々「うつ病」が猛威を振るうことになります。明治神宮は賑わってほしいものです。
三院一社を大事にする社会が望まれます。
Posted by 庄野勝久 at 2016年01月17日 16:54
庄野さん毎度コメント有難う御座います。
又教えて戴きました。人と云う字は支え合う字で、人は支え合い繋がりを求め合い生きて行くものと思って居りますが、「三院一社」成る言葉、しっかり頭に入れて置きます。有難う御座いました。
庄野勝久様 後閑林司郎
又教えて戴きました。人と云う字は支え合う字で、人は支え合い繋がりを求め合い生きて行くものと思って居りますが、「三院一社」成る言葉、しっかり頭に入れて置きます。有難う御座いました。
庄野勝久様 後閑林司郎
Posted by 林ちゃん at 2016年01月18日 15:10