2016年03月09日

上毛カルタ巡り「ゆの編」

ゆかりも古し貫前神社
先日貫前神社を参詣して来ました。ガイドブックに寄りますと貫前神社は今から1500年前に創建され、神話に出てくる径津主神「ふつぬしのかみ」が機織りの神とともにまつられています。
現在の社殿は1635「寛永12年」に徳川家光が建て1698「元禄11年」に徳川綱吉が大きな修理をした神社ですと記して有ります。
上毛カルタ巡り「ゆの編」

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上毛カルタ巡り「ゆの編」

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一之宮貫前神社の参詣は階段が多く上り下りが大変だが、重厚なお寺で神々しさを覚えます、
上毛カルタ巡り「ゆの編」

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一宮と呼ばれるわけ
昔中央の役人が地方「国」へ赴任すると、先ずはその国の神社をお参りしました。その時に国の厚い信仰を受けて居る神社から順番に廻りました。
上野の国「群馬県」で最も厚い信仰を受けて居る貫前神社は、最初にお参りされたために一之宮と呼ばれました、その他に二宮の赤城神社、三宮の伊香保神社も有りましたとガイドブックに記して有ります。




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この記事へのコメント
後閑様

下仁田から富岡に行かれました。「貫前神社」が上野の国一宮になったのは、いろいろな事情があったのでしょう。本来なら、赤城神社が一宮のように思えますが、この貫前神社が一宮に選ばれたのにはそれ相当な理由があったものと思われます。

大和朝廷の東方最前線は、当時では「蝦夷」といわれる所だったと思われます。この蝦夷と対峙する拠点が、群馬、上野の国だったのではないでしょうか。

大和朝廷の最新の情報が、この上野の国「貫前神社」にもたらされたように思われます。その際帰化人といわれる先進国に当たる人、いわゆる中国、朝鮮半島から当時の世界一の情報を持って来た人たちが、この貫前神社に派遣されたのではないかと思います。

つまり、大和朝廷建設時の東方の守りを、当時では最も最先端の帰化人とともにここに置いたということです。この辺りには、日本語とはちょっと違う言葉の地名がたくさんあるように思います(。というのも私の勝手な思いですけど・・・)

貫前神社の不思議なのは、本殿が丘から下がったところにあることです。階段を下がっていくというのが不思議です。
というのも、他の神社は階段を「上がって」行き、仰ぎ見るように作られているのですが、この神社は「下」にあって見下ろしながら降りていきます。
何の意味があるのでしょうか。雷と何か関係があるのですかね。

ともかく、この貫前神社は何とも言えない魅力があります。ここに立つと何といいますか、「カンナビル」という古い言葉がありますが、その感じは、かくやと思わせる雰囲気を感じさせてくれます。

ほかにも動物の骨に焼きごてですか、それを当ててそのひび割れで占うという、最も古い古式豊かな神事があるとも聞いています。興味尽きない神社です。群馬の人は、もっとこの神社を盛り上げてもいいのではないかと思われますが、如何なのでしょうか。(またまた、余計なことを言いましたw)
Posted by 庄野勝久 at 2016年03月09日 09:52
庄野さん毎度コメント有難う御座います。
又又あーそうなのですかと云う書き込み、毎度の博識ぶりに只驚くばかりです。
毎度教えて戴き、勉強に成ります。有難う御座います
庄野勝久様  後閑林司郎
Posted by 林ちゃん林ちゃん at 2016年03月09日 18:21
 
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    コメント(2)