2016年04月04日

上毛カルタ巡り「この編」

心の灯台内村鑑三
4月3日日曜日桜も満開の此の日久し振りに上毛カルタ巡りに出掛けた.。近場で高崎公園の傍にある内村鑑三ゆかりの頼政神社,光明寺に向かった。
一番先に行ったのが高崎山龍広寺だった。此の寺には村上鬼城の墓、元ロシヤ軍人の墓も有りました。
上毛カルタ巡り「この編」

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次に光明寺を訪ねました。鑑三が建立したと云う内村家5代の墓を写真に収め
ご本人のお墓は東京多摩霊園に有ると説明文には記されて有りました。
内村鑑三は何事にも厳しく、正しいと信じることをはっきりと主張する性格の為,日露戦争前に発表した『非戦論』という戦争反対の意見は、多くの人達から反発を受けました。この主張を生涯通して亡くなりましたが、その後の太平洋戦争で人々はその正しさを知る事になりました。
「上毛カルタを作った人たちは鑑三の戦争反対の考えと生き方を大切なものとして、日本の将来を導く明かりにたとへて「心の灯台」と表現しその人格をたたえた札ですとガイドブックに記して有ります

上毛カルタ巡り「この編」

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そして頼政神社に向かった。直筆漢詩「上州人」を写真に収めたが光線の関係で鮮明には撮れなかった。この漢詩は上州人を本当に良く詠って居ると思います。
上毛カルタ巡り「この編」

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頼政神社隣は高崎公園、満開の桜の下では多くの花見の宴が開かれて居りました
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この記事へのコメント
後閑様

あっという間に桜は咲いて、あっという間に散ります。これを美しいというのでしょうか。

「いざさらば春よ、われは永遠の旅に立つであろう」というように散っていきます。
というような文だったと思いますが、有名な「茶の本」の最後の所だったと思います。

ともあれ、黒滝さんへ花見に行ってみますか。木曜日なら時間が取れますが・・・またお電話します。

「心の灯台内村鑑三」の墓が、高崎公園の所にあったとは、うっかりしていました。村上鬼城の看板は知っていましたが。

「内村鑑三」がどうして「心の灯台」と呼ばれるのか、あまりよく分かりません。恥ずかしながらです。日本における「キリスト教」がよく分からないからなのかもしれません。

「非戦論」を唱えたといわれています。日本国家を挙げて戦争に向かっているとき、非戦論を唱える勇気は並大抵なことではありません。

「平和なとき」の戦争反対は、周りも頭が冷静になっているから、強気で言えますが、「戦争の真っただ中」になると、「非国民、裏切り者」と集中攻撃を受けるので、「戦争反対」をいう人はほとんどいません。

「内村鑑三」の非戦論について詳しいことはわかりませんが、懲役拒否に対しては戒めていたようです。自分は戦争に行かないで、他人を自分の代わりに戦場に向かわせることになり、懲役拒否は臆病者であるといいます。

「非戦論」は、日露戦争時に唱えられましたが、そのまえの「日清戦争」は肯定しています。

「平和」の問題は難しいのですね。
小生など、何を判断基準にすべきか勉強不足なので、迂闊には首を突っ込めない気がします。ただ単純ではありますが、何は何でも戦争は反対という立場ではありますけどー。
Posted by 庄野勝久 at 2016年04月05日 21:31
 
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