2016年03月14日

下仁田虻田の福寿草を観賞して

過日下仁田虻田の千本紅梅と福寿草の里を観賞して来ました。
254号線を右折妙義山に向って直ぐ看板の旗も有って分かりました。もう何年も前から観賞させて居た様でしたが、福寿草の栽植密度は今一でした。
部落の直ぐ傍から勾配の緩い斜面に植えられた紅梅の下に植えられて居りました。紅梅とのコントラストも良い早春の花福寿草、多くのお客さんが次々に見えて居ました。

下仁田虻田の福寿草を観賞して

下仁田虻田の福寿草を観賞して

下仁田虻田の福寿草を観賞して

下仁田虻田の福寿草を観賞して

下仁田虻田の福寿草を観賞して

下仁田虻田の福寿草を観賞して

下仁田虻田の福寿草を観賞して

満開の紅梅と福寿草園から見る虻田の家々、町おこしの一環として植えたものと思うが、維持管理も大変の様で夏には草退治も手間暇かかるので3百の協力金お願いしますと云われ協力券を買い入園しました


同じカテゴリー(ドライブ)の記事画像
初日の出迎春場所確認に行き
房総白浜の日の入り、日の出を仰ぎ
紅葉狩りドライブに行って来ました。其の2
紅葉狩りドライブに行って来ました。其の1
野菜王国昭和村を探訪して
4月2日桜観賞ドライブに行って来ました。
同じカテゴリー(ドライブ)の記事
 初日の出迎春場所確認に行き (2015-12-31 09:44)
 房総白浜の日の入り、日の出を仰ぎ (2015-11-28 19:32)
 紅葉狩りドライブに行って来ました。其の2 (2015-10-21 04:27)
 紅葉狩りドライブに行って来ました。其の1 (2015-10-20 10:51)
 野菜王国昭和村を探訪して (2015-05-28 05:01)
 4月2日桜観賞ドライブに行って来ました。 (2015-04-03 06:02)

Posted by 林ちゃん at 08:31│Comments(2)ドライブ
この記事へのコメント
後閑様

福寿草は、確かに春の到来を告げてくれます。きれいな花です。
確か、この地は「蝋梅」がたくさん咲いているところではなかったですかネ。違ったかなー。

先日久しぶりに古本屋へ行ってみたら、文庫本で新田次郎著「武田信玄」全4冊が格安で並んでいた。昔の本だが、何ら問題ないじゃろと、買ってきた。

枕元で読むのだが、なんともスタミナがなくなった。2,3ページ読むとグースカと寝てしまう。要するに睡眠薬として買ってきたようなものだ。

信玄は、川中島の大決戦をした後、関東へ首を突っ込んできます。軽井沢からわれらが「箕輪城」へと攻め込んできました。永禄9年(1566年)城は落ちます。

信玄の軍に対して5分の一、6分の一の兵力で戦い、上州の漢(おとこ)を示してくれました。

この城を防衛する箕輪の漢たちは、上泉、多比良(たひら)、高山、白倉、上田、倉賀野、和田、長根、大戸、「後閑」という錚々たるメンバーであった。

永禄9年奮戦むなしく城は落ちます。武田軍は箕輪衆を手厚く扱います。信玄の一番信頼する内藤修理がこの箕輪城へ入ります。上州武士の勇猛さを認め、武田軍へ迎えます。多比良守友、高間雄斎、福田丹後守、「後閑信純」(のぶずみ)は、武田軍に入ります。

ここに「後閑」という豪の者の名が出ますが、お宅のご祖先ではありませんか。寝惚けながらも、戦国時代へ胸をときめかして読んでしまいました。「後閑」氏が出てきていっぺんに目が覚めましたけど・・・

上泉伊勢守は剣の道(新陰流)を広めるため、浪々の身になります。

この時代、1560年ごろは、まさに激動の時代だったのですね。上州が一番燃えた時代ではなかったのでしょうか。
Posted by 庄野勝久 at 2016年03月14日 15:06
庄野さん毎度コメント有難う御座います。

又又あーそうなのですかと云う書き込み、本当に勉強に成ります。此れもパソコンを習得してブログを開設したお蔭で庄野さんと知り合えたお蔭嬉しく思って居ります。
庄野勝久様 後閑林司郎
Posted by 林ちゃん林ちゃん at 2016年03月15日 05:40
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
下仁田虻田の福寿草を観賞して
    コメント(2)