2014年09月02日
箕郷町白川滝沢寺を訪ねて
高崎市箕郷町白川滝沢寺を参詣しました。山門入口に大きな石造仁王尊像が左右に睨みをきかして建立されて居ました。私は石造仁王尊像に出会ったのは初めてでした。
仁王尊像は金剛力士像ともいわれて、右手に金剛杵、左掌を胸前に開いて、怒りの形相すごく仏敵を睨み、口を開いた阿形像を蜜迹金剛。右の肘を高く張り、金剛掌杵を腰にかまえ怒りあらわな姿で口を閉ざした吽形像を那羅延金剛という。
仁王尊像は、仏法を守る役目を持って居る。二尊は配置上左右に必要なわけで,別体ではないとされて居る。「この項日本石仏協会編石仏入門書参照」




山門入口左にはお地蔵様が祀られて居ました「1718年「享保4年」の建立

お地蔵様と並んで庚申供養塔「1740年[元文5年」建立から「1860年「万延元年」建立の青面金剛塔等5基の庚申供養塔も祀られて居ました。

本堂も立派で,池の水も清らかで多くの鯉が餌を求めて寄って来ました。

参道入り口右側には立派な経蔵も建立されて居り、梅林、田園に囲まれた誠に静かなお寺で心癒されて帰宅しました。
参考文献 箕郷町石造文化財
仁王尊像は金剛力士像ともいわれて、右手に金剛杵、左掌を胸前に開いて、怒りの形相すごく仏敵を睨み、口を開いた阿形像を蜜迹金剛。右の肘を高く張り、金剛掌杵を腰にかまえ怒りあらわな姿で口を閉ざした吽形像を那羅延金剛という。
仁王尊像は、仏法を守る役目を持って居る。二尊は配置上左右に必要なわけで,別体ではないとされて居る。「この項日本石仏協会編石仏入門書参照」




山門入口左にはお地蔵様が祀られて居ました「1718年「享保4年」の建立

お地蔵様と並んで庚申供養塔「1740年[元文5年」建立から「1860年「万延元年」建立の青面金剛塔等5基の庚申供養塔も祀られて居ました。

本堂も立派で,池の水も清らかで多くの鯉が餌を求めて寄って来ました。


参道入り口右側には立派な経蔵も建立されて居り、梅林、田園に囲まれた誠に静かなお寺で心癒されて帰宅しました。
参考文献 箕郷町石造文化財
巣鴨のとげ抜き地蔵に初詣
明治神宮初詣でに行って
坂東33観音巡り第33番札所補陀洛山那古寺『結願寺』
坂東33観音巡り第30番札所平野山高蔵寺を参詣
坂東33観音巡り第31番札所大悲山笠森寺を参詣
坂東33観音巡り第29番札所海上山千葉寺を参詣
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Posted by 林ちゃん at 04:25│Comments(2)
│石神仏
この記事へのコメント
こんにちは
今回は仁王尊像の石仏ということで、興味深く拝見しました。
木造はいろいろな所で見ますが、そういえば石像は私の中では
あまり見ないような気がします。
木造でしたら、雨風を凌ぐ天蓋のようなもので覆ってあるのが
普通ですよね。
堂々と雨ざらしで、長い年月を堪えている石像は威風さえ感じます。
誰が、いつ、どういう想いで建立したのでしょう。
ロマンですね。
伸子
今回は仁王尊像の石仏ということで、興味深く拝見しました。
木造はいろいろな所で見ますが、そういえば石像は私の中では
あまり見ないような気がします。
木造でしたら、雨風を凌ぐ天蓋のようなもので覆ってあるのが
普通ですよね。
堂々と雨ざらしで、長い年月を堪えている石像は威風さえ感じます。
誰が、いつ、どういう想いで建立したのでしょう。
ロマンですね。
伸子
Posted by 神保伸子 at 2014年09月03日 10:01
このお寺には400軒以上の檀家さんが有り、20年位前に屋根を修理葺き替えた時に、檀家さんに寄付を募り、余った金で石造仁王尊像を建立したと、寺の近くに住み、檀信徒役員でもある昔からの親友の説明でした。
兎に角、今迄石造の仁王尊像を見た事は無いので驚きました。石造だから末永く寺を護り、仏法を護って呉れるのでしょう。
神保伸子様 後閑林司郎
兎に角、今迄石造の仁王尊像を見た事は無いので驚きました。石造だから末永く寺を護り、仏法を護って呉れるのでしょう。
神保伸子様 後閑林司郎
Posted by 林ちゃん
at 2014年09月03日 12:10
