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2014年06月30日
群馬県立日本絹の里を訪ねて
町内に有りながら一度も入館した事の無い、日本絹の里を訪ねました。私の様に初めて入館した多くの人が居ました。
館内を一巡して群馬県の繭や生糸に関する展示、絹製品などの展示にも力を入れて居り、その熱意も感じられました。

上の写真は立派な建物の日本絹の里ですが、入館しますと受付では富岡製糸場世界遺産登録決定によるお祝いで入館料は取らず、記念に日本絹の里名入のボールペン迄下され資料を渡されました。



上の写真は稚蚕共同飼育場における給桑台の上にかごを引き出して給桑する作業風景の展示。

絹糸を作る座繰りや、機織り機なども展示されて居ました。

群馬県蚕糸技術センターにて研究開発した群馬県独自の生糸等も展示されて居り、此の県立日本絹の里を観賞して、皆さんにも是非お越し戴き、ご覧戴きたいと強く思いました。
館内を一巡して群馬県の繭や生糸に関する展示、絹製品などの展示にも力を入れて居り、その熱意も感じられました。

上の写真は立派な建物の日本絹の里ですが、入館しますと受付では富岡製糸場世界遺産登録決定によるお祝いで入館料は取らず、記念に日本絹の里名入のボールペン迄下され資料を渡されました。




上の写真は稚蚕共同飼育場における給桑台の上にかごを引き出して給桑する作業風景の展示。

絹糸を作る座繰りや、機織り機なども展示されて居ました。

群馬県蚕糸技術センターにて研究開発した群馬県独自の生糸等も展示されて居り、此の県立日本絹の里を観賞して、皆さんにも是非お越し戴き、ご覧戴きたいと強く思いました。
2014年06月29日
高崎市箕輪城址にお越しの節は
私は箕郷町石造文化財を見初めてから殆ど毎日、箕輪城址二の丸に通って居ります。理由は箕郷町の石造文化財について第一人者と云われ、箕輪城址語り部の会の会長であり、一年360日は箕輪城址に赴き、説明をして居られる。岡田豊治先生に教えを乞うためです。
6月28日も、箕輪城址に行って見ると、雨の中、語り部の会員さんが居て勉強会を開いて居ました。箕輪城址語り部の会事務局長「生方信夫氏電話番号027-371-3899」は百名城の一つと云われる箕輪城址へお越しの節は、前以てお電話ください、語り部の会員は20名も居りますので、たとへ御一人様でも電話下されば、必ず無料にてガイド申し上げますので、電話お待ちして居りますとおしゃって居たのでお知らせします。
皆さん箕輪城址お越しの節はどうぞ遠慮なくお電話しましょう。

語り部の会員さんは案内を申し上げたく、うずうずする様に張り切って居ました。


6月28日も、箕輪城址に行って見ると、雨の中、語り部の会員さんが居て勉強会を開いて居ました。箕輪城址語り部の会事務局長「生方信夫氏電話番号027-371-3899」は百名城の一つと云われる箕輪城址へお越しの節は、前以てお電話ください、語り部の会員は20名も居りますので、たとへ御一人様でも電話下されば、必ず無料にてガイド申し上げますので、電話お待ちして居りますとおしゃって居たのでお知らせします。
皆さん箕輪城址お越しの節はどうぞ遠慮なくお電話しましょう。
語り部の会員さんは案内を申し上げたく、うずうずする様に張り切って居ました。



2014年06月28日
群馬県蚕糸技術センターを訪ねて
富岡製糸場世界遺産登録決定と成り、群馬県の絹産業についての関心が非常に高く成って居り、先日高崎市歴史民俗資料館を訪ねて「蚕の懐古展2」として特別企画を拝見アップしましたが、群馬の蚕糸技術向上に貢献している群馬県蚕糸技術センターに一度も見学してないのでは話に成らないと気がつき、先日群馬県蚕糸技術センターに伺いました。
受付に訪問の理由を申し上げた処、態々所長さんがお越しに成り、資料を下さり種々説明してくださいました。そして蚕は病気に弱いので研究の現場は案内出来ませんと話されましたが、資料戴いて来ましたのでスキャンしてアップします。

上の写真は群馬県蚕糸技術センターの玄関の写真です。



戴いた資料の説明はアップした資料で皆さん読めると思い省略させて戴きますが、帰りに網越しで広い桑畑の写真を撮って帰宅しました。
受付に訪問の理由を申し上げた処、態々所長さんがお越しに成り、資料を下さり種々説明してくださいました。そして蚕は病気に弱いので研究の現場は案内出来ませんと話されましたが、資料戴いて来ましたのでスキャンしてアップします。

上の写真は群馬県蚕糸技術センターの玄関の写真です。



戴いた資料の説明はアップした資料で皆さん読めると思い省略させて戴きますが、帰りに網越しで広い桑畑の写真を撮って帰宅しました。

2014年06月27日
箕郷町西明屋光徳寺を訪ねて
高崎市箕郷町西明屋光徳寺を訪ねました。
光徳寺参道には金剛界大日如来像、馬頭尊像、境内には地蔵尊像が祀られて居ました。


金剛界大日如来像「1767年「明和4年」の建立


狭い面積に「1792年〈寛政12年から「1844年[天保15年』までに建立された五体の馬頭尊像が建立祀られて居ました。

境内には「1815年「文化12年」建立の丸彫り立像の地蔵尊像が祀られて居ました。
参考文献 箕郷町の石造文化財
光徳寺参道には金剛界大日如来像、馬頭尊像、境内には地蔵尊像が祀られて居ました。


金剛界大日如来像「1767年「明和4年」の建立


狭い面積に「1792年〈寛政12年から「1844年[天保15年』までに建立された五体の馬頭尊像が建立祀られて居ました。

境内には「1815年「文化12年」建立の丸彫り立像の地蔵尊像が祀られて居ました。
参考文献 箕郷町の石造文化財
2014年06月26日
箕郷町西明屋華蔵院を訪ねて
高崎市箕郷町西明屋華蔵院を訪ねました
ここでは回雷電王神が祀られて居ました。「ピカツゴロゴロ」「クワバラクワバラ」
と唱えながら蚊帳の中へ。
突然の稲妻と神鳴りによる横死の恐怖から逃れますように、と云う意味の祈願言葉が裏面に記されて居ると云う事ですが、私には読めませんでした

箕郷町西明屋華蔵院

回雷電王神「1856年「安政3年」の建立

左聖観音像,「1720年「享保元年」の建立、右地蔵尊像「正徳6年」の建立

青面金剛塔「1860年「万延元年」の建立
参考文献 箕郷町の石造文化財
ここでは回雷電王神が祀られて居ました。「ピカツゴロゴロ」「クワバラクワバラ」
と唱えながら蚊帳の中へ。
突然の稲妻と神鳴りによる横死の恐怖から逃れますように、と云う意味の祈願言葉が裏面に記されて居ると云う事ですが、私には読めませんでした

箕郷町西明屋華蔵院

回雷電王神「1856年「安政3年」の建立

左聖観音像,「1720年「享保元年」の建立、右地蔵尊像「正徳6年」の建立

青面金剛塔「1860年「万延元年」の建立
参考文献 箕郷町の石造文化財
2014年06月24日
箕郷町西明屋瑠璃殿「薬師様」を訪ねて
高崎市西明屋瑠璃殿「薬師様」を訪ねました。瑠璃殿は箕郷町図書館前に有りました。瑠璃殿横に石神仏は建立祀られて居ました。
一番手前に如意輪観音像、馬頭尊文字塔、庚申供養、庚申塔、庚申供養塔、百番供養塔と並んで祀られて居ました。


如意輪観音像は「1719年「享保4年」の建立女人講で建立したものと思われます。

馬頭尊文字塔は「1872年「明治5年」の建立

庚申供養塔は「1780年「安永9年」の建立

百番供養塔は「1756年「宝暦6年」の建立
其れに、箕郷町図書館近くに箕郷町道路元標が有ると箕郷町石造文化財書に記されて居り、大きい物と思って居たので、前二回探しても見つからず、6月23日、三回目探しに行き、今度は図書館内に入りお聞きした処、皆さん顔を見合わせ合って知らないと云うのです。此れには驚きました。
其れでも職員さんの一人が親切に一緒に探して呉れました。元標は小さく、さつきの植え込みに隠れて居るのが見つかりました。
折角の箕郷町道路元標、、植込みに隠して置か無いで植込みを刈り込み、一本の柱でも良いので、此処に箕郷町道路元標が有る事を知らせるべきと考え、関係者の猛省を強く望みたいと思いました。

此の植え込みに隠れて居たので前二回見つかりませんでした。大きいものと決めつけて居たのも見つからない原因だったようです。
箕郷町石造文化財書参照
一番手前に如意輪観音像、馬頭尊文字塔、庚申供養、庚申塔、庚申供養塔、百番供養塔と並んで祀られて居ました。


如意輪観音像は「1719年「享保4年」の建立女人講で建立したものと思われます。

馬頭尊文字塔は「1872年「明治5年」の建立

庚申供養塔は「1780年「安永9年」の建立

百番供養塔は「1756年「宝暦6年」の建立
其れに、箕郷町図書館近くに箕郷町道路元標が有ると箕郷町石造文化財書に記されて居り、大きい物と思って居たので、前二回探しても見つからず、6月23日、三回目探しに行き、今度は図書館内に入りお聞きした処、皆さん顔を見合わせ合って知らないと云うのです。此れには驚きました。
其れでも職員さんの一人が親切に一緒に探して呉れました。元標は小さく、さつきの植え込みに隠れて居るのが見つかりました。
折角の箕郷町道路元標、、植込みに隠して置か無いで植込みを刈り込み、一本の柱でも良いので、此処に箕郷町道路元標が有る事を知らせるべきと考え、関係者の猛省を強く望みたいと思いました。


此の植え込みに隠れて居たので前二回見つかりませんでした。大きいものと決めつけて居たのも見つからない原因だったようです。
箕郷町石造文化財書参照
2014年06月22日
国府野菜本舗リニューアルオープン

昨日6月21日、群馬県高崎市旧国府地区、国府野菜本舗のリニューアルオープンの案内を戴いたので訪ねました。
丁度、国会衆議院議員の小渕優子氏もお祝いに来店、店先にて一番に秘書に記念写真を撮って戴きました。
農事組合法人国府野菜本舗代表理事真塩光枝氏、開店以来11年幾多の成果を上げて来ましたが、此の度、更に加工施設を新設し、それに伴い店舗を改装して新しい分野のジェラード部門を始め、新鮮野菜や加工品を数多く揃えて、店作りをして居り、町民から大きな期待を寄せられて居ります。写真上改装成った店内。
店内ジェラードショーケース前でジェラードの試食をする小渕優子氏と代表理事店長の真塩光枝氏
上の写真はジェラードショーケースですが私が試食させて戴いたジェラードだけでも人参、玉ねぎ、トマト、小豆、バニラの五種類、ほかにも野菜のジェラードが並んでおり、野菜嫌いなお子さんでも美味しく食べて終うなと思いました。
上の写真は賑わう店内ですが、国府野菜本舗では幻の国府人参を皆に呼び掛け、復活させて、人参ジュースにしたり、菜種油も自家生産したりして居り、此れからの益々の活躍を期待します。
2014年06月21日
高崎市歴史民俗資料館を訪ねて
6月19日朝、グンブロ仲間の迷道院高崎さんのブログを見させて戴き、高崎市歴史民俗資料館を訪ねました。
高崎市歴史民俗資料館では特別企画「蚕の懐古展2」を展示中でした。



養蚕道具等も良く揃えて展示されて居たり、集繭の状況も展示されて居ました。

私の実家は大きな農家で蚕も多く飼い、蚕の時期には4,5人のお手伝いさんも頼んで養蚕に励んだ事も懐かしく思い出しました。
上、右側の棚は蚕棚と云い十段に成って居り、籠も十枚ささります。
給桑、脱蚕糞の作業の度に、両側に立って声を掛けあい、調子を合わせて抜き差し作業をしますが、調子が合わないと倍も力を使った事なども懐かしく思い出しました。
上、左側の繭が有るのは蔟「まぶし」と云い冬の藁仕事で良く編んだ事も懐かしく思い出しました。

機織り機も何台も展示されて居ましたが姉達が織って居て、離れた隙に手を出して「ひぶち」と云って、経糸を切ってしまい大変怒られた事も懐かしく思い出しました。


昔の駄菓子屋さんの展示や戦後の悲しい事件、相馬村弾拾い事故の当時の新聞など私にはたまらない懐古でして、本当に見させて貰って良かったと思いました。皆さんの観賞も強くお勧めします。
高崎市歴史民俗資料館では特別企画「蚕の懐古展2」を展示中でした。



養蚕道具等も良く揃えて展示されて居たり、集繭の状況も展示されて居ました。

私の実家は大きな農家で蚕も多く飼い、蚕の時期には4,5人のお手伝いさんも頼んで養蚕に励んだ事も懐かしく思い出しました。
上、右側の棚は蚕棚と云い十段に成って居り、籠も十枚ささります。
給桑、脱蚕糞の作業の度に、両側に立って声を掛けあい、調子を合わせて抜き差し作業をしますが、調子が合わないと倍も力を使った事なども懐かしく思い出しました。
上、左側の繭が有るのは蔟「まぶし」と云い冬の藁仕事で良く編んだ事も懐かしく思い出しました。

機織り機も何台も展示されて居ましたが姉達が織って居て、離れた隙に手を出して「ひぶち」と云って、経糸を切ってしまい大変怒られた事も懐かしく思い出しました。


昔の駄菓子屋さんの展示や戦後の悲しい事件、相馬村弾拾い事故の当時の新聞など私にはたまらない懐古でして、本当に見させて貰って良かったと思いました。皆さんの観賞も強くお勧めします。
2014年06月20日
伊勢崎市赤堀花菖蒲園を訪ねて
6月18日、太田の吉沢百合の里を見た帰りに、群馬県伊勢崎市赤堀の花菖蒲園を訪ねました。
赤堀の花菖蒲園は国指定史跡に成って居て看板が立って居ました。写真を又撮り直し拡大しましたが、皆さん看板の文字が読めるでしょうか。


赤堀の花菖蒲園の事は今迄も話に聞いて居り是非行って見たい候補地でして、今回やっと観賞出来ました。予想を遥かに超えた広大な敷地に栽植されていて、花も見頃で素晴らしいものでした。今回赤堀花菖蒲園を見られて、写真に収める事が出来て本当に良かったです。


赤堀の花菖蒲園は国指定史跡に成って居て看板が立って居ました。写真を又撮り直し拡大しましたが、皆さん看板の文字が読めるでしょうか。

赤堀の花菖蒲園の事は今迄も話に聞いて居り是非行って見たい候補地でして、今回やっと観賞出来ました。予想を遥かに超えた広大な敷地に栽植されていて、花も見頃で素晴らしいものでした。今回赤堀花菖蒲園を見られて、写真に収める事が出来て本当に良かったです。


2014年06月19日
太田市吉沢の百合の里を訪ねて
6月18日、群馬県の地元紙上毛新聞に掲載された太田市吉沢の百合の里へ妻を伴いドライブに出掛けた。シルバーカーを頼りの足の悪い妻で、ドライブは大好きだが、小石や段差がネックで園内には殆ど入場出来ない、其れでも喜んで一緒に出掛ける。


現地に着くと、さすが紙上案内有っただけに、観光客も多く駐車場も満杯、ゆりの里の敷地も広く、50種、150万株の花も見頃で素晴らしく、大いに堪能出来、写真に収めて来ました。



現地に着くと、さすが紙上案内有っただけに、観光客も多く駐車場も満杯、ゆりの里の敷地も広く、50種、150万株の花も見頃で素晴らしく、大いに堪能出来、写真に収めて来ました。


2014年06月17日
箕郷町石上寺を訪ねて
高崎市旧群馬町地区の石神仏については可成り見たので、箕郷町の石神仏を見たいと思い、箕郷町柏木沢に住む従兄を訪問、従兄から箕郷町の石神仏について第一人者と岡田先生を紹介して呉れました。
岡田先生は昭和59年3月発行した『箕郷町石造文化財」と云う本をお貸し下され、さらに先生ご自身で3年半かけて歩いて目にしたと云う、多くの資料を下さいました。只、箕郷町の石神仏を見たいと思っても、何処に有るのか見当もつかないのが事実です。
元より無学文盲の私、彫って有る銘も解読出来ませんが,お借りした本には調査総数千六百余体石造物の銘の,有る、無しと、銘の一字一字がこの本には記されて居りますので、此れから箕郷町の石神仏を見させて戴くのに非常に頼りに成り大助かりです。
岡田先生に多くの資料を戴き、早速帰りに石上寺を訪ねました。

石上寺では住職さんはお住みでなく、草が繁茂して居て、石神仏も寂しそうに見えました。参道入り口に建立されて居た。石幢 輪廻の塔「1491年「延徳3年」本堂前に六地蔵石幢「1474「天明6年」が祀られ、地蔵尊像、薬師如来像も祀られて居ました。

上、輪廻と塔と、下、六地蔵塔です


上、薬師如来瑠璃光像と下地蔵尊像です


又石上寺西側の路傍に二神降臨献酬型「1819年「文政2年≫建立上と下、二神抱擁型「1726年「享保11年」建立の道祖神二基が並んで祀られて居ました。

箕郷町石造文化財書参照
岡田先生は昭和59年3月発行した『箕郷町石造文化財」と云う本をお貸し下され、さらに先生ご自身で3年半かけて歩いて目にしたと云う、多くの資料を下さいました。只、箕郷町の石神仏を見たいと思っても、何処に有るのか見当もつかないのが事実です。
元より無学文盲の私、彫って有る銘も解読出来ませんが,お借りした本には調査総数千六百余体石造物の銘の,有る、無しと、銘の一字一字がこの本には記されて居りますので、此れから箕郷町の石神仏を見させて戴くのに非常に頼りに成り大助かりです。
岡田先生に多くの資料を戴き、早速帰りに石上寺を訪ねました。

石上寺では住職さんはお住みでなく、草が繁茂して居て、石神仏も寂しそうに見えました。参道入り口に建立されて居た。石幢 輪廻の塔「1491年「延徳3年」本堂前に六地蔵石幢「1474「天明6年」が祀られ、地蔵尊像、薬師如来像も祀られて居ました。

上、輪廻と塔と、下、六地蔵塔です


上、薬師如来瑠璃光像と下地蔵尊像です


又石上寺西側の路傍に二神降臨献酬型「1819年「文政2年≫建立上と下、二神抱擁型「1726年「享保11年」建立の道祖神二基が並んで祀られて居ました。

箕郷町石造文化財書参照
2014年06月15日
第49回岳心流詩歌吟詠発表会
昨日6月14日高崎市市民活動センター「ソシアス」に於いて、群馬岳心流三岳会吟詠発表会が、岳心流群馬岳心会の後援の元、盛大に開催されました。


上の写真は独吟、茶道吟の模様です。


午前中は三岳会会員による、独吟、茶道吟有り、書道吟ありの趣向凝らした発表で昼食に成りました。昼食会場に調理研究室が用意され各支部からお越しの先生方も一緒の和やかな昼食と成りました。



午後は一番に高崎市文化協会群馬支部協力のアトラクション、一番に稲荷台祭り太鼓の素晴らしい演奏、若柳緑祐社中の可愛い小中学生踊り3題、かみつけ民謡会の三味線合奏、歌など有り、
最後にアンデスの風「代表富所建治さん」の4曲の笛、太鼓、ギター、ウクレレ、タンバリンを使った軽快な演奏に会場の観衆も全員一斉に身体を使い、手を叩き舞台と客席が一体に成った、誠に素晴らしい軽快な演奏でした。
アトラクションの後,岳心流県内各支部からお越しの先生方の吟詠で
素晴らしい勉強に成り、今回も盛大な発表会に成りました


上の写真は独吟、茶道吟の模様です。


午前中は三岳会会員による、独吟、茶道吟有り、書道吟ありの趣向凝らした発表で昼食に成りました。昼食会場に調理研究室が用意され各支部からお越しの先生方も一緒の和やかな昼食と成りました。



午後は一番に高崎市文化協会群馬支部協力のアトラクション、一番に稲荷台祭り太鼓の素晴らしい演奏、若柳緑祐社中の可愛い小中学生踊り3題、かみつけ民謡会の三味線合奏、歌など有り、
最後にアンデスの風「代表富所建治さん」の4曲の笛、太鼓、ギター、ウクレレ、タンバリンを使った軽快な演奏に会場の観衆も全員一斉に身体を使い、手を叩き舞台と客席が一体に成った、誠に素晴らしい軽快な演奏でした。
アトラクションの後,岳心流県内各支部からお越しの先生方の吟詠で
素晴らしい勉強に成り、今回も盛大な発表会に成りました
2014年06月14日
高崎市長寿会連合会第30回ペタンク大会
昨6月13日、高崎市長寿会連合会「会長小林伝」第30回ペタンク大会が高崎市からす川河川敷運動公園にて、各支部の30余チーム、180名が参加、好天に恵まれ盛大に行われました。



。私達チームも国府長寿会を代表しての参加だったが。二回勝って、3回戦で1っ点差で敗退無念の涙を飲んだ。
運悪く、先日右足側じん帯の筋を伸ばしてしまい、痛みを堪えての参加で、チームの足を引っ張ってしまい躍進出来ななった事を悔やまれた。
次回はもっと上を目指して頑張る積もりである。

昼食は川風吹く木蔭で歓談しながら、皆さん美味しそうにお弁当を食べて居ました。参加する事に意義ありですね。



。私達チームも国府長寿会を代表しての参加だったが。二回勝って、3回戦で1っ点差で敗退無念の涙を飲んだ。
運悪く、先日右足側じん帯の筋を伸ばしてしまい、痛みを堪えての参加で、チームの足を引っ張ってしまい躍進出来ななった事を悔やまれた。
次回はもっと上を目指して頑張る積もりである。

昼食は川風吹く木蔭で歓談しながら、皆さん美味しそうにお弁当を食べて居ました。参加する事に意義ありですね。
2014年06月13日
箕郷町西明屋八幡宮を訪ねて
高崎市箕郷町西明屋東向き八幡宮を訪ねました。幸い宮司さんが居て、資料も下さり親切に説明して下さいました。八幡宮には高崎市指定文化財{石幢}【せいろう】文明6年「1474年」建立を見に行ったものでした。

この東向八幡宮は資料によりますと、室町時代の中期、応仁の乱のさ中、「1467-1478年」箕輪城主長野尚業「ひさなり」公、山城の国「京都」男山{石清水}八幡宮より分霊勧請し社殿を造営、総鎮守と成す。と記されて居ります。

石幢「せいろう」は本殿北側に祀られて居ました。資料によりますと昭和26年㋃24日近隣火災にて本殿上部類焼して改修を成すと記されて居ましたが本殿外部の彫刻は見事でした。

境内には二神献酬型の道祖神、文字塔道祖神など祀られて居ました。


この東向八幡宮は資料によりますと、室町時代の中期、応仁の乱のさ中、「1467-1478年」箕輪城主長野尚業「ひさなり」公、山城の国「京都」男山{石清水}八幡宮より分霊勧請し社殿を造営、総鎮守と成す。と記されて居ります。

石幢「せいろう」は本殿北側に祀られて居ました。資料によりますと昭和26年㋃24日近隣火災にて本殿上部類焼して改修を成すと記されて居ましたが本殿外部の彫刻は見事でした。

境内には二神献酬型の道祖神、文字塔道祖神など祀られて居ました。


2014年06月11日
箕郷町松之沢の百観音を訪ねて
高崎市箕郷町松之沢の百観音を、気をつけて行けば松之沢入口左側に百観音の看板が有り、車も止められると、箕輪城址で常駐、説明にご苦労して居る岡田先生にお聞きして箕輪城址の帰り、松之沢百観音を訪ねました。
お聞きした通り、看板が目に留まり、車を止め70メートル小高き森に百観音は有りました。



入口には六地蔵、立派な宝篋印塔も祀られて居て、多くの観音立像が祀られて居ました。


こんな近い場所に、此れだけ大規模な石仏像群が祀られて有ったとは大きな驚きで、時間のたつのも忘れ、観音像に長い時間手を合わせながら一体一体向かい合って往時の観音信仰に想いを馳せました。本当に心癒された松之沢百観音でした。
お聞きした通り、看板が目に留まり、車を止め70メートル小高き森に百観音は有りました。



入口には六地蔵、立派な宝篋印塔も祀られて居て、多くの観音立像が祀られて居ました。


こんな近い場所に、此れだけ大規模な石仏像群が祀られて有ったとは大きな驚きで、時間のたつのも忘れ、観音像に長い時間手を合わせながら一体一体向かい合って往時の観音信仰に想いを馳せました。本当に心癒された松之沢百観音でした。
2014年06月09日
箕郷町矢原ト神諏訪神社を訪ねて
先日高崎市箕郷町矢原ト神「ぼくしん」諏訪神社と県道わきの石塔群を訪ねて、
小雨が降る中写真に収めて来ました
諏訪神社には蚕影山と云う碑が建立されて居ました。今迄見て来たのは殆ど蚕影大神でしたが「蚕影山」と云う供養塔は初めて見ました。
他に庚申供養塔も建立されて居ました。



帰りに県道わきに石塔群が有るのに気付き車を引き返して写真に収めて来ました。道祖神。二十二夜供養塔、馬頭尊像も建立祀られて居り、道祖神は二神降臨型と云われる双体道祖神で文化14年「1817」の銘が珍しく読み取れました。
並んで馬頭尊像寛政9年「1797」も建立されて居ました。

上は馬頭尊像


上の写真はト神行人と記されて居り、先日箕輪城址二の丸に常駐して説明をして居る岡田先生が箕郷町では一番の石神仏の大家でと従兄に教えられて居たのを思い出し、箕輪城址に行き、説明を仰いだ処、行人塚と云い、修行僧が生きたまま、穴に入り息絶えるまで竹で水を差して貰ったもので其の供養塔を行人塚と云うとの事、初めて知りました。
小雨が降る中写真に収めて来ました
諏訪神社には蚕影山と云う碑が建立されて居ました。今迄見て来たのは殆ど蚕影大神でしたが「蚕影山」と云う供養塔は初めて見ました。
他に庚申供養塔も建立されて居ました。



帰りに県道わきに石塔群が有るのに気付き車を引き返して写真に収めて来ました。道祖神。二十二夜供養塔、馬頭尊像も建立祀られて居り、道祖神は二神降臨型と云われる双体道祖神で文化14年「1817」の銘が珍しく読み取れました。
並んで馬頭尊像寛政9年「1797」も建立されて居ました。

上は馬頭尊像


上の写真はト神行人と記されて居り、先日箕輪城址二の丸に常駐して説明をして居る岡田先生が箕郷町では一番の石神仏の大家でと従兄に教えられて居たのを思い出し、箕輪城址に行き、説明を仰いだ処、行人塚と云い、修行僧が生きたまま、穴に入り息絶えるまで竹で水を差して貰ったもので其の供養塔を行人塚と云うとの事、初めて知りました。
2014年06月07日
箕郷町原中の八幡様、天神の庚申塚を訪ねて
先日、高崎市箕郷町支所へ高崎市に合併前に箕郷町の石神仏について調査編集された本が有る事を期待して行って見た。結果は残念ながらノーでした。
いよいよ箕郷町の石神仏にお目に掛かりたいと思っても、見つけるのに大変だと思うが、辛抱強く隣り町で近いので通って見たいと考えて居ります。
先日、箕郷町原中の八幡様、天神の庚申塚を訪ねて写真に収めて来ました。


原中の八幡様は、こんもり茂った小高い森の中に祀られて居り、同じ森の中に、庚申塔、馬頭尊が祀られて居ました。


天神の字は小いさな字なのに、庚申塚を訪ねて見ると、本当に長い年月厚い庚申信仰がなされて居て現在も続いて居ると覗えました。
庚申文字塔の数の多さに驚きました。庚申塚は村の真ん中に有り、見つけるまでが大変でした
いよいよ箕郷町の石神仏にお目に掛かりたいと思っても、見つけるのに大変だと思うが、辛抱強く隣り町で近いので通って見たいと考えて居ります。
先日、箕郷町原中の八幡様、天神の庚申塚を訪ねて写真に収めて来ました。


原中の八幡様は、こんもり茂った小高い森の中に祀られて居り、同じ森の中に、庚申塔、馬頭尊が祀られて居ました。


天神の字は小いさな字なのに、庚申塚を訪ねて見ると、本当に長い年月厚い庚申信仰がなされて居て現在も続いて居ると覗えました。
庚申文字塔の数の多さに驚きました。庚申塚は村の真ん中に有り、見つけるまでが大変でした

2014年06月05日
早死の旧友邸を訪ねて
20年以上も前に早死した旧友が夢枕に出て、その後思い出しては苦に成るので、先日、思い切って高崎市箕郷町原中の旧友邸を訪ねて見ました。
彼の生前は養蚕,米麦、野菜の生産に励んだ篤農家でしたが、がんを患い、病には敵わず帰らぬ人と成って終った。私は友達を代表して弔辞を捧げました。未だ血気盛りでして本当に悲しい別れでした。
伺った日、奧さんは屋敷に隣接の畑で稲苗床に水入れ作業中でしたが、大変喜んで邸宅に迎え入れて下さり、仏壇に線香を立てさせて戴き、暫く話をして来ました。

奥さんは、若い夫婦と同居して居て、若夫婦は良い勤めをして居り、昼間は留守です。主人亡く成った後、十年程は奥さん一人で野菜を作り、荷作りして、若い者達、帰宅後市場に持てって貰って居たが、子供達も職場で役職に着き、大変に成って来たので野菜作りは止めたと云う事です。

彼の家では、屋敷と屋敷続きの畑を合わせると三千坪以上も有り、其の殆どを年間花畑にして居るそうで、伺った時はポピーを二千坪も植えて有り、盛りを過ぎたとは言え花は見事でした。
ポピーの後に植える,千日紅やアスターの苗等相当準備して有りました。花が咲くと、毎日多くの人が来て呉れるので、野菜を作って持ってって貰うのが嬉しいと話して居ました。


奧さんの旧友から引き継ぎした多くの田畑を一坪も手放さず、草一本立てず、子孫に引き継ごうと云う立派な姿勢に触れ、其の尊厳さを覚えると共に、子、孫に囲まれた大変幸福な様子を見させて戴き、安堵して帰宅しました。
お勝手でお茶を戴きながら、一段上の花畑から吹き降ろす風は涼しかったし、窓越しに見えた花々は見事でした。「上2枚の写真」
彼の生前は養蚕,米麦、野菜の生産に励んだ篤農家でしたが、がんを患い、病には敵わず帰らぬ人と成って終った。私は友達を代表して弔辞を捧げました。未だ血気盛りでして本当に悲しい別れでした。
伺った日、奧さんは屋敷に隣接の畑で稲苗床に水入れ作業中でしたが、大変喜んで邸宅に迎え入れて下さり、仏壇に線香を立てさせて戴き、暫く話をして来ました。

奥さんは、若い夫婦と同居して居て、若夫婦は良い勤めをして居り、昼間は留守です。主人亡く成った後、十年程は奥さん一人で野菜を作り、荷作りして、若い者達、帰宅後市場に持てって貰って居たが、子供達も職場で役職に着き、大変に成って来たので野菜作りは止めたと云う事です。

彼の家では、屋敷と屋敷続きの畑を合わせると三千坪以上も有り、其の殆どを年間花畑にして居るそうで、伺った時はポピーを二千坪も植えて有り、盛りを過ぎたとは言え花は見事でした。
ポピーの後に植える,千日紅やアスターの苗等相当準備して有りました。花が咲くと、毎日多くの人が来て呉れるので、野菜を作って持ってって貰うのが嬉しいと話して居ました。


奧さんの旧友から引き継ぎした多くの田畑を一坪も手放さず、草一本立てず、子孫に引き継ごうと云う立派な姿勢に触れ、其の尊厳さを覚えると共に、子、孫に囲まれた大変幸福な様子を見させて戴き、安堵して帰宅しました。
お勝手でお茶を戴きながら、一段上の花畑から吹き降ろす風は涼しかったし、窓越しに見えた花々は見事でした。「上2枚の写真」
2014年06月03日
上野国分寺史跡発掘調査再開
私が毎日散歩する国分寺史跡、もう上野国分寺史跡での発掘調査は終わった物とばかり思って居りましたが、先日発掘調査が始まって居り、暫く発掘調査の模様を見学させて戴きました。
熱い中大変ご苦労に思いました。大勢の作業員の間を駆け回り指導して居た責任者の方が居て、調査は慎重に行われて居りました。


石や、瓦等が土から多く顔を覗かせていて、堀り出す迄の作業は特に慎重の様でした。

熱い中大変ご苦労に思いました。大勢の作業員の間を駆け回り指導して居た責任者の方が居て、調査は慎重に行われて居りました。


石や、瓦等が土から多く顔を覗かせていて、堀り出す迄の作業は特に慎重の様でした。


2014年06月01日
半世紀以上続く国府小14会クラス会
旧群馬県群馬郡国府村小学校昭和14年入学の我等は、もう半世紀以上楽しいクラス会を毎年開催しております。
過去にも、もめ事一つ無く開催されて居り、一年前のクラス会で、我々が産まれ育った国府の地名が合併に因り、消えて終い、張りが悪い、何時までも国府の名前が欲しいがと云う声が上がり、クラスメイトに因って国府音頭の作詩、作曲が出来、振り付けを町内踊りの師匠にお願いして、国府音頭が出来上がりました。
その後、昨秋国分寺史跡祭りで披露され、以来国府地区各字にて踊りの練習も盛んに行われて居り、此の夏には各字で盆踊りには国府音頭を踊ると張り切って練習して居ります。
先日の我がクラス会でも作曲者の級友が弾くオルガンに合せて皆で楽しく国府音頭を歌いました。

作曲者の級友がオルガンを持ち込み国府音頭の伴奏を弾いて呉れ級友に披露。


何度か弾いて、皆真剣に歌い、すっかり国府音頭を覚えてしまいました。
毎年幹事は各字の交代だが、来年の当番字も決まり、来年も元気でクラス会に出席しましょうと約束して散会に成りました。
私のブログ更新、5月中は休まずに更新しようと決めて掛かり、何とか31日連続で更新する事が出来ました。
6月からは何日かおきに更新、内容の濃い物を目指したいと考えて居ります。
過去にも、もめ事一つ無く開催されて居り、一年前のクラス会で、我々が産まれ育った国府の地名が合併に因り、消えて終い、張りが悪い、何時までも国府の名前が欲しいがと云う声が上がり、クラスメイトに因って国府音頭の作詩、作曲が出来、振り付けを町内踊りの師匠にお願いして、国府音頭が出来上がりました。
その後、昨秋国分寺史跡祭りで披露され、以来国府地区各字にて踊りの練習も盛んに行われて居り、此の夏には各字で盆踊りには国府音頭を踊ると張り切って練習して居ります。
先日の我がクラス会でも作曲者の級友が弾くオルガンに合せて皆で楽しく国府音頭を歌いました。

作曲者の級友がオルガンを持ち込み国府音頭の伴奏を弾いて呉れ級友に披露。

何度か弾いて、皆真剣に歌い、すっかり国府音頭を覚えてしまいました。
毎年幹事は各字の交代だが、来年の当番字も決まり、来年も元気でクラス会に出席しましょうと約束して散会に成りました。
私のブログ更新、5月中は休まずに更新しようと決めて掛かり、何とか31日連続で更新する事が出来ました。
6月からは何日かおきに更新、内容の濃い物を目指したいと考えて居ります。