2015年08月03日
高崎市倉賀野町古商家おもてなし館を観賞して
秋、冬野菜予定地を二段堀も終わり、雑草も取り除け菜園作業は一段落したので
先日、高崎市倉賀野古商家おもてなし館を観賞して来ました。過日高崎市の広報に掲載されて居たので見に行って来ました。



明治中期から米屋大黒屋を営んで居り、屋内にはんてんが展示されて居ました。又当主は倉賀野が高崎市に編入されるまで倉賀野町町長として町政に尽力されて居たと云う名家だったようです。
<画像:PIC_0662.jpg



古商家おもてなし館は大山隆子氏、加藤和子氏の姉妹が高崎市に寄付され高崎市ではこの家を修復しておもてなし館として開放、ボランチアで交代で市民が説明して呉れて居ました。観賞させて戴き、蔵作りの大きな梁の木材など、格子戸も昔のままで見る価値がありました。こういう建物は後世に残したい建物であり、高崎市の考えに拍手を送ります。
西側路地からはなまこ壁が施されて居り、見る事が出来た。なまこ壁は近くでは見た事は有りませんでした。
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先日、高崎市倉賀野古商家おもてなし館を観賞して来ました。過日高崎市の広報に掲載されて居たので見に行って来ました。



明治中期から米屋大黒屋を営んで居り、屋内にはんてんが展示されて居ました。又当主は倉賀野が高崎市に編入されるまで倉賀野町町長として町政に尽力されて居たと云う名家だったようです。
<画像:PIC_0662.jpg



古商家おもてなし館は大山隆子氏、加藤和子氏の姉妹が高崎市に寄付され高崎市ではこの家を修復しておもてなし館として開放、ボランチアで交代で市民が説明して呉れて居ました。観賞させて戴き、蔵作りの大きな梁の木材など、格子戸も昔のままで見る価値がありました。こういう建物は後世に残したい建物であり、高崎市の考えに拍手を送ります。
西側路地からはなまこ壁が施されて居り、見る事が出来た。なまこ壁は近くでは見た事は有りませんでした。
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Posted by 林ちゃん at 09:37│Comments(2)
│その他
この記事へのコメント
後閑様
この猛暑の中、なんと行動力のあることか、またまた驚きました。
つまらぬ言葉かもしれませんが、お体気を付けてください。
倉賀野あたりは歴史のあるところのはずです。むやみに古い建物だからと壊してはならないと思います。例幣使街道という有名な街道であったのですから、その面影などもしっかり残しておいてもらいたいものです。
開発という誘惑に負けないように、歴史と文化の重要性を考えなければならない時代を迎えようとしているのではないでしょうか。もう高度成長の時代ではないからです。
中世の上州のど真ん中は、倉賀野あたりだったでしょう。上杉、武田、北条の各氏が一番欲しがったところではないでしょうか。まだまだ歴史的な発見があってもよいと思っているのですが、17号線という大河のために、単に通過地点にされているようで残念です。
この猛暑の中、なんと行動力のあることか、またまた驚きました。
つまらぬ言葉かもしれませんが、お体気を付けてください。
倉賀野あたりは歴史のあるところのはずです。むやみに古い建物だからと壊してはならないと思います。例幣使街道という有名な街道であったのですから、その面影などもしっかり残しておいてもらいたいものです。
開発という誘惑に負けないように、歴史と文化の重要性を考えなければならない時代を迎えようとしているのではないでしょうか。もう高度成長の時代ではないからです。
中世の上州のど真ん中は、倉賀野あたりだったでしょう。上杉、武田、北条の各氏が一番欲しがったところではないでしょうか。まだまだ歴史的な発見があってもよいと思っているのですが、17号線という大河のために、単に通過地点にされているようで残念です。
Posted by 庄野勝久 at 2015年08月03日 17:19
庄野さん毎度コメント有難う御座います。
おっしゃる通り、古いからと云って壊さないで欲しい文化遺産が沢山倉賀野には有りますね、昔は宿場町で有っただけに余計ですね。
今朝も胡瓜を採りましたが、もう殆ど満足の胡瓜が無く、全体黄色に成って来ましたので。今ある程度大きく成って居る胡瓜で最後だと思います。盆過ぎまで採れると思って居たので意外だなと思って居ります。
庄野勝久様 後閑林司郎
おっしゃる通り、古いからと云って壊さないで欲しい文化遺産が沢山倉賀野には有りますね、昔は宿場町で有っただけに余計ですね。
今朝も胡瓜を採りましたが、もう殆ど満足の胡瓜が無く、全体黄色に成って来ましたので。今ある程度大きく成って居る胡瓜で最後だと思います。盆過ぎまで採れると思って居たので意外だなと思って居ります。
庄野勝久様 後閑林司郎
Posted by 林ちゃん
at 2015年08月04日 09:00
