2016年01月30日
上毛カルタ巡り「への編」その二
>;">「平和の使徒「つかい」新島襄其の二
[この日郡役所から新島襄旧宅へ。旧宅は安中市の施設に成って居り。係員さんが親切に説明して呉れました。上にも上がらせて戴き、種々見せて戴きました。台所は土間で竈も囲炉裏も有りました。





群馬県の誇る偉人新島襄先生が街中のこんな粗末な狭い家に住まわれて居た事が有る現実に恐れ多く思えた新島襄先生旧宅の観賞でした
[この日郡役所から新島襄旧宅へ。旧宅は安中市の施設に成って居り。係員さんが親切に説明して呉れました。上にも上がらせて戴き、種々見せて戴きました。台所は土間で竈も囲炉裏も有りました。





群馬県の誇る偉人新島襄先生が街中のこんな粗末な狭い家に住まわれて居た事が有る現実に恐れ多く思えた新島襄先生旧宅の観賞でした
Posted by 林ちゃん at 08:13│Comments(2)
│上毛カルタ巡り
この記事へのコメント
後閑様
前回の話が勉強になったなどといわれると、お恥ずかしくて赤面するばかりです。ただ、400年近く昔のバチカンが、びっくり仰天したのがおもしろく、当時のバチカンといえば人類の最高の智慧者のいたところですから、そこがひっくり返るるほど考え込んだというのが面白かったのです。
さぞかし日本人とはどんな民族なのだろうと不思議がると同時に、少しばかりは畏れたかもしれません。
で、・・・新島襄なんですが、同志社大学を設立し、沢山の人材を輩出します。群馬県からどれだけ入学し、卒業したのでしょう。同志社大学、群馬閥が大派閥であっても面白いですがね、そうはいかないのでしょう。
安中市でのこうした偉人宅の保存、公開、宣伝に対しては、なんだか腰が入ってない気がしてなりません。ついでにしょうがなくやっている感じです。安仲の人ですらあまり知らないんじゃないのかな、と心配してしまいます。
新島襄は、群馬を離れて、京都に取られてしまいますね、このままじゃ。
前回の話が勉強になったなどといわれると、お恥ずかしくて赤面するばかりです。ただ、400年近く昔のバチカンが、びっくり仰天したのがおもしろく、当時のバチカンといえば人類の最高の智慧者のいたところですから、そこがひっくり返るるほど考え込んだというのが面白かったのです。
さぞかし日本人とはどんな民族なのだろうと不思議がると同時に、少しばかりは畏れたかもしれません。
で、・・・新島襄なんですが、同志社大学を設立し、沢山の人材を輩出します。群馬県からどれだけ入学し、卒業したのでしょう。同志社大学、群馬閥が大派閥であっても面白いですがね、そうはいかないのでしょう。
安中市でのこうした偉人宅の保存、公開、宣伝に対しては、なんだか腰が入ってない気がしてなりません。ついでにしょうがなくやっている感じです。安仲の人ですらあまり知らないんじゃないのかな、と心配してしまいます。
新島襄は、群馬を離れて、京都に取られてしまいますね、このままじゃ。
Posted by 庄野勝久 at 2016年01月30日 09:06
庄野さん毎度コメント有難う御座います。
訪れた旧郡役所の事務員さん、旧宅の係員さん何方も定年後のお仕事の様でしたが親切、丁寧に説明して呉れました。
仰せの通り市民全体で腰を入れて新島襄先生の足跡を誇りとし、宣伝保持に努めて戴きたいですね。
庄野勝久様 後閑林司郎
訪れた旧郡役所の事務員さん、旧宅の係員さん何方も定年後のお仕事の様でしたが親切、丁寧に説明して呉れました。
仰せの通り市民全体で腰を入れて新島襄先生の足跡を誇りとし、宣伝保持に努めて戴きたいですね。
庄野勝久様 後閑林司郎
Posted by 林ちゃん
at 2016年01月30日 14:57
