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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2014年12月11日

高崎市箕郷町生原中新田地区を散策して

先日高崎市箕郷町生原中新田地域を散策しました。
中新田一番南に善竜寺が有りますが前に取材アップして居り、通り過ぎて南から中新田に入りましたが、部落の入口を示すように道祖神が並んで建立されて居ました。
が、手前が文字塔、並んで建立されて居たのは明らかに双体道祖神と思われるが写真の通り破壊されて居ました。誰が何で破壊したのか腹が立ちました。
調べて見たら二神合唱型で宝暦12年「1762年」の建立、文字塔は明和2年「1765年」に建立されて居ました。


少し北には飯野家の墓所が有り参詣しました。墓所手前には多くの石仏が建立祀られて居ました。



飯野家の墓所には如意輪観音も祀られて居り、平成18年行年百歳で亡くなられた戦中陸軍少佐で勲5等を受賞した飯野光蔵氏も眠って居て偉い人が居た事も知りました。


飯野家の墓所前には穴薬師が祀られて居り、上は竹藪に成って居り古墳との事、中には石の薬師様が祀られて傍に回国僧が残していったという剥げた木のお地蔵様が置かれて居ました。



又北に進むと中新田四辻にホウソウ除けの神、疱瘡軽安守護神を祀った碑「安政5年「1859年」が立って居て、昔の人達にはホウソウは脅威だったのでしょう

北に進み県道の信号が見える処に、山の神と云われ多くの石神仏が建立祀られて居り参詣しました
天満大自在天神,水雨天吹風天天神舟入「万延2年「1861年」穂高大権現八海山大頭羅神王三笠山刀利夫「安政2年「1795年」阿留魔邪天狗御嶽山座主摩利支尊天「安政2年「1795年」等多くの山神が祀られて居り。山神信仰の講中で賑わった往時を偲びつつ、暫く参詣してきました





この日車では目に着かない物も眼に留まり赤い実が良くついた南天、たわわに実り黄色に色着いた柚子を写真に収めて来ました。


参考文献箕郷町石造文化財  


Posted by 林ちゃん at 06:57Comments(0)石神仏