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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2014年07月12日

箕郷町松原八幡神社を訪ねて

高崎市箕郷町松原の八幡神社を訪ねました。八幡神社には舟形浮き彫り、雲に乗る雷神像≪銘なし」が建立祀られて居ました。
雷と云えば私には強烈に思い出す事例が有ります。昭和41年小作農家から自作農を目指して群馬県赤城村の家付き物置付き2,8ヘクタール、標高650メートルの開拓地を居抜きで買い、3人の子供は親に預けて妻と二人で泊まり込みにて農業に精励した時代が有りました。そして昭和42年夏休みに小学生3人の子供が白菜蒔きの手伝いに来ました。親子五人で空き缶詰めに種を入れ作条に張り縄を張り点蒔「張り縄に印しが有りそこに5,6粒の種を蒔く」して居た時、未だ充分晴れて居ましたが黒い雲が広がって来たなと思った瞬間でした。強烈な光と共に大きな雷が鳴り、5人皆手に持つ缶詰めは飛ばされ激しく地面に打ちのめされた経験が有り、強烈に雷の怖さを知った時の事です。


雷神像『銘なし」雷神像に向かい合い,手を合わせ、雷の怖さの深い思い出に、しばし浸かりました。

        御嶽大神「1933年昭和7年」の建立


 秋葉大神「1942年「明治17年」の建立。又近くの路傍木の下に2体の道祖神が祀られて居ました。



        二神抱擁型「1758年「宝暦8年」の建立

        二神降臨型『『1817年「文化14年」の建立
参考文献 箕郷町石造文化財  


Posted by 林ちゃん at 04:40Comments(4)石神仏

2014年06月27日

箕郷町西明屋光徳寺を訪ねて

高崎市箕郷町西明屋光徳寺を訪ねました。
光徳寺参道には金剛界大日如来像、馬頭尊像、境内には地蔵尊像が祀られて居ました。


         金剛界大日如来像「1767年「明和4年」の建立


狭い面積に「1792年〈寛政12年から「1844年[天保15年』までに建立された五体の馬頭尊像が建立祀られて居ました。

境内には「1815年「文化12年」建立の丸彫り立像の地蔵尊像が祀られて居ました。
参考文献 箕郷町の石造文化財  


Posted by 林ちゃん at 07:04Comments(0)石神仏

2014年06月26日

箕郷町西明屋華蔵院を訪ねて

高崎市箕郷町西明屋華蔵院を訪ねました
ここでは回雷電王神が祀られて居ました。「ピカツゴロゴロ」「クワバラクワバラ」
と唱えながら蚊帳の中へ。
突然の稲妻と神鳴りによる横死の恐怖から逃れますように、と云う意味の祈願言葉が裏面に記されて居ると云う事ですが、私には読めませんでした

           箕郷町西明屋華蔵院

回雷電王神「1856年「安政3年」の建立

左聖観音像,「1720年「享保元年」の建立、右地蔵尊像「正徳6年」の建立

青面金剛塔「1860年「万延元年」の建立
参考文献 箕郷町の石造文化財  


Posted by 林ちゃん at 05:06Comments(2)石神仏

2014年06月24日

箕郷町西明屋瑠璃殿「薬師様」を訪ねて

高崎市西明屋瑠璃殿「薬師様」を訪ねました。瑠璃殿は箕郷町図書館前に有りました。瑠璃殿横に石神仏は建立祀られて居ました。
一番手前に如意輪観音像、馬頭尊文字塔、庚申供養、庚申塔、庚申供養塔、百番供養塔と並んで祀られて居ました。


如意輪観音像は「1719年「享保4年」の建立女人講で建立したものと思われます。

         馬頭尊文字塔は「1872年「明治5年」の建立

         庚申供養塔は「1780年「安永9年」の建立

         百番供養塔は「1756年「宝暦6年」の建立
其れに、箕郷町図書館近くに箕郷町道路元標が有ると箕郷町石造文化財書に記されて居り、大きい物と思って居たので、前二回探しても見つからず、6月23日、三回目探しに行き、今度は図書館内に入りお聞きした処、皆さん顔を見合わせ合って知らないと云うのです。此れには驚きました。
其れでも職員さんの一人が親切に一緒に探して呉れました。元標は小さく、さつきの植え込みに隠れて居るのが見つかりました。
折角の箕郷町道路元標、、植込みに隠して置か無いで植込みを刈り込み、一本の柱でも良いので、此処に箕郷町道路元標が有る事を知らせるべきと考え、関係者の猛省を強く望みたいと思いました。


此の植え込みに隠れて居たので前二回見つかりませんでした。大きいものと決めつけて居たのも見つからない原因だったようです。
箕郷町石造文化財書参照  


Posted by 林ちゃん at 04:52Comments(0)石神仏

2014年06月17日

箕郷町石上寺を訪ねて

高崎市旧群馬町地区の石神仏については可成り見たので、箕郷町の石神仏を見たいと思い、箕郷町柏木沢に住む従兄を訪問、従兄から箕郷町の石神仏について第一人者と岡田先生を紹介して呉れました。
岡田先生は昭和59年3月発行した『箕郷町石造文化財」と云う本をお貸し下され、さらに先生ご自身で3年半かけて歩いて目にしたと云う、多くの資料を下さいました。只、箕郷町の石神仏を見たいと思っても、何処に有るのか見当もつかないのが事実です。
元より無学文盲の私、彫って有る銘も解読出来ませんが,お借りした本には調査総数千六百余体石造物の銘の,有る、無しと、銘の一字一字がこの本には記されて居りますので、此れから箕郷町の石神仏を見させて戴くのに非常に頼りに成り大助かりです。
岡田先生に多くの資料を戴き、早速帰りに石上寺を訪ねました。

石上寺では住職さんはお住みでなく、草が繁茂して居て、石神仏も寂しそうに見えました。参道入り口に建立されて居た。石幢 輪廻の塔「1491年「延徳3年」本堂前に六地蔵石幢「1474「天明6年」が祀られ、地蔵尊像、薬師如来像も祀られて居ました。

          上、輪廻と塔と、下、六地蔵塔です


         上、薬師如来瑠璃光像と下地蔵尊像です


又石上寺西側の路傍に二神降臨献酬型「1819年「文政2年≫建立上と下、二神抱擁型「1726年「享保11年」建立の道祖神二基が並んで祀られて居ました。
 

箕郷町石造文化財書参照  


Posted by 林ちゃん at 06:05Comments(0)石神仏

2014年06月13日

箕郷町西明屋八幡宮を訪ねて

高崎市箕郷町西明屋東向き八幡宮を訪ねました。幸い宮司さんが居て、資料も下さり親切に説明して下さいました。八幡宮には高崎市指定文化財{石幢}【せいろう】文明6年「1474年」建立を見に行ったものでした。

この東向八幡宮は資料によりますと、室町時代の中期、応仁の乱のさ中、「1467-1478年」箕輪城主長野尚業「ひさなり」公、山城の国「京都」男山{石清水}八幡宮より分霊勧請し社殿を造営、総鎮守と成す。と記されて居ります。

石幢「せいろう」は本殿北側に祀られて居ました。資料によりますと昭和26年㋃24日近隣火災にて本殿上部類焼して改修を成すと記されて居ましたが本殿外部の彫刻は見事でした。

境内には二神献酬型の道祖神、文字塔道祖神など祀られて居ました。

  


Posted by 林ちゃん at 04:35Comments(0)石神仏

2014年06月11日

箕郷町松之沢の百観音を訪ねて

高崎市箕郷町松之沢の百観音を、気をつけて行けば松之沢入口左側に百観音の看板が有り、車も止められると、箕輪城址で常駐、説明にご苦労して居る岡田先生にお聞きして箕輪城址の帰り、松之沢百観音を訪ねました。
お聞きした通り、看板が目に留まり、車を止め70メートル小高き森に百観音は有りました。



入口には六地蔵、立派な宝篋印塔も祀られて居て、多くの観音立像が祀られて居ました。


こんな近い場所に、此れだけ大規模な石仏像群が祀られて有ったとは大きな驚きで、時間のたつのも忘れ、観音像に長い時間手を合わせながら一体一体向かい合って往時の観音信仰に想いを馳せました。本当に心癒された松之沢百観音でした。  


Posted by 林ちゃん at 05:57Comments(0)石神仏

2014年06月09日

箕郷町矢原ト神諏訪神社を訪ねて

先日高崎市箕郷町矢原ト神「ぼくしん」諏訪神社と県道わきの石塔群を訪ねて、
小雨が降る中写真に収めて来ました
諏訪神社には蚕影山と云う碑が建立されて居ました。今迄見て来たのは殆ど蚕影大神でしたが「蚕影山」と云う供養塔は初めて見ました。
他に庚申供養塔も建立されて居ました。



帰りに県道わきに石塔群が有るのに気付き車を引き返して写真に収めて来ました。道祖神。二十二夜供養塔、馬頭尊像も建立祀られて居り、道祖神は二神降臨型と云われる双体道祖神で文化14年「1817」の銘が珍しく読み取れました。
並んで馬頭尊像寛政9年「1797」も建立されて居ました。

           上は馬頭尊像


上の写真はト神行人と記されて居り、先日箕輪城址二の丸に常駐して説明をして居る岡田先生が箕郷町では一番の石神仏の大家でと従兄に教えられて居たのを思い出し、箕輪城址に行き、説明を仰いだ処、行人塚と云い、修行僧が生きたまま、穴に入り息絶えるまで竹で水を差して貰ったもので其の供養塔を行人塚と云うとの事、初めて知りました。  


Posted by 林ちゃん at 05:36Comments(0)石神仏

2014年06月07日

箕郷町原中の八幡様、天神の庚申塚を訪ねて

先日、高崎市箕郷町支所へ高崎市に合併前に箕郷町の石神仏について調査編集された本が有る事を期待して行って見た。結果は残念ながらノーでした。
いよいよ箕郷町の石神仏にお目に掛かりたいと思っても、見つけるのに大変だと思うが、辛抱強く隣り町で近いので通って見たいと考えて居ります。
先日、箕郷町原中の八幡様、天神の庚申塚を訪ねて写真に収めて来ました。


原中の八幡様は、こんもり茂った小高い森の中に祀られて居り、同じ森の中に、庚申塔、馬頭尊が祀られて居ました。


天神の字は小いさな字なのに、庚申塚を訪ねて見ると、本当に長い年月厚い庚申信仰がなされて居て現在も続いて居ると覗えました。
庚申文字塔の数の多さに驚きました。庚申塚は村の真ん中に有り、見つけるまでが大変でした
  


Posted by 林ちゃん at 06:11Comments(0)石神仏

2014年06月03日

上野国分寺史跡発掘調査再開

私が毎日散歩する国分寺史跡、もう上野国分寺史跡での発掘調査は終わった物とばかり思って居りましたが、先日発掘調査が始まって居り、暫く発掘調査の模様を見学させて戴きました。
熱い中大変ご苦労に思いました。大勢の作業員の間を駆け回り指導して居た責任者の方が居て、調査は慎重に行われて居りました。


石や、瓦等が土から多く顔を覗かせていて、堀り出す迄の作業は特に慎重の様でした。

  


Posted by 林ちゃん at 05:09Comments(0)石神仏

2014年05月29日

福島町金剛寺を訪ねて

先日高崎市福島町金剛寺を訪ねました。先代住職様には青年団当時から大変お世話に成ったお方でしたが、残念ながら亡くなりました。
お伺いした日、先代奥様にお会いし種々説明戴きながら懐かしく話し合いました。金剛寺には石造薬師如来座像が祀られて居ると伺いお邪魔したが,大きい木の下のお堂に祀られて居ました。


立派な石造り鳥居をくぐり格子戸の隙間から薬師如来像を写真に収めました。


         本堂は建て替えたばかりで落慶法要木柱も立てて有りました。

         境内には13層塔を始め多くの石像も祀られて居ました。

山門外には22夜塔、主尊の如意輪観音が浮き彫りで彫刻されお堂も地域女人講のの方々の寄進にて建立されて居ました。


この福島地域でも昔から庚申信仰は盛んだった様で、門外ブロック塀に沿って石宮庚申様、庚申文字塔が沢山祀られて居り、此の地域と寺との強い絆を見せて戴き帰宅しました。  


Posted by 林ちゃん at 05:04Comments(0)石神仏

2014年05月28日

箕輪城址を尋ねました

5月27日、100名城に入る高崎市箕輪城址を尋ねました。今回の箕輪城址訪問見学は予備調査は一切せずに行った為か、今朝は何だか後ろ髪を強く引かれた夢で1時半に目が覚めてしまい、其の儘、考え事で寝付けず、4時に離れの隠居部屋に来た。
幸にも本丸跡のバイオトイレの管理に見えて居た人に、遭えて下り口について問い合わせ出来たから良かったが、後は一人も遭えず下って来た。

虎稲門駐車場に車を止め、郭馬出、二の丸、本丸跡のコースで上り、本丸で石塔を写真に収め、本丸西虎口から蔵屋敷を通り、鍛冶曲輪「かじくるわ」の石垣を見て駐車場に着いた。


         本丸跡に着くと、箕輪城跡の石塔が一番にめに飛び込んで来ました。




馬頭尊有り、夏草や兵どもの夢の後、芭蕉句の石塔ありで、しばし軍馬、将兵に想いを馳せました。

聖徳太子の石塔そばの西虎口より下り、蔵屋敷、鍛冶曲輪を経て駐車場に着きました。今回の箕輪城址の見学、何だかアップしても後ろ髪引かれる様な気持ちが強く、今度は東口搦め手口の方から近い内に再度見学したいと思って居ります。  


Posted by 林ちゃん at 05:39Comments(4)石神仏

2014年05月27日

箕郷町柏木沢の神社、旧跡を訪ねて

5月25日、従兄と不動寺を後にして、同じく箕郷町柏木沢の神社、旧跡を訪ねました。先ず杓子神社を訪ねました。
杓子神社は、享保8年「西暦1723年」柏木沢地域の信仰心厚い人々が協力し合って立てた祠で有り、農耕の神として五穀豊穣と地域の発展、繁栄安全を守護して呉れる霊験あらたかな神であり、ご眷属は白蛇と青大将で有ると云われ、又隣には薬師如来像も建立されて居て、健康特に歯全体を守護してくれる石仏で有ると云われて居るとの事です。


           小高く積んだ石積の上に祠と薬師如来像が並んで祀られて居ました。


近年信仰心厚い地域住民によってお堂を建立、灯篭も奉納され、春秋の2回例大祭を挙行して地域住民の発展、繁栄を祈願して居るとの事でした。



続いて桜薬師堂を訪れました。薬師堂を覗いても中は見られませんでした.堂裏には樹齢数百年と推定されて居る桜の巨木が有り、桜薬師の桜と云う看板が建立されて居ました。
最後に柏木沢の庚申塚を訪ねました。此処では多くの庚申供養塔が建立されて居り、道祖神文字塔、蚕影碑が建立されて居て看板も建立されて居ました。



柏木沢の蚕影碑の看板によりますと,明治20年5月23日、柏木沢中心に激しい雹が降り見る見る間に2尺程積もり屋根から落ちた軒下には子供の背の高さ程積もったと言い伝えられて居り、此の降雹により桑の葉や麦野菜などに甚大な被害が出て蚕は飼えなくなり、止むを得ず現地に穴を掘り埋め、其の供養と惨状を後世に伝えるため明治30年「1897」蚕影碑は
建立されたと記してあった。
天災は恐ろしい、この冬の豪雪によるハウスの倒壊が相次いだ事を思い起こされた。
従兄には柏木沢の神社仏閣名跡を案内して貰い、さらに飲食店にてご馳走に成って大きな借りを作って終いました。  


Posted by 林ちゃん at 05:44Comments(0)石神仏

2014年05月26日

箕郷町不動寺を訪ねて

5月25日、旧群馬町地域の石神仏は可成り見て廻ったので、箕郷町の石神仏を見たいと考え、高崎市箕郷町柏木沢に住む従兄を訪ねました。彼はかれの菩提寺不動寺を案内して呉れました。

丁度境内に先代奥様が居られ、上の写真は先代奥様に来訪の目的を話す従兄、此の後住職様が本堂の戸を開けて呉れ、本堂内に招き入れて下さいました。

本堂に上がると一番に仏壇奥に案内して呉れました。本尊の不動様は扉の奥に祀られて、その前中央に不動尊立像、右側にお釈迦様立像、左側に薬師如来瑠璃光尊立像が祀られて居ました。

仏壇前上の欄間、不動寺では近年改築しましたが欄間を元に設計され建立したとの事、欄間の向かった右側に文殊菩薩像、左側に普賢菩薩像が浮き彫りで彫刻されて居ました。
此の欄間は旧本堂建立の際、日光の見猿、言わ猿、聞か猿の彫刻家左甚五郎の弟子、関口文次郎作で安永9年11月14日「1780年」今から234年前の作、不動寺の欄間を作った後、関口氏は榛名神社の彫刻をしたとの言い伝えが有ると云う事で素晴らしい文化財的欄間でした。

         外に出ると不動堂も建立されて居り、不動尊石仏も建立されて居ました

並んで信州高遠の石工が彫ったと云う大日如来像も祀られて居ました。山門脇にはお地蔵様,13層塔も建立されて居ました。
  


Posted by 林ちゃん at 05:34Comments(0)石神仏

2014年05月25日

西国分の日光、月光菩薩

高崎市西国分町の畑の中に、日光、月光菩薩が二体、並んで建立されて居ると聞いて訪ねて見ました。
今迄随分通った道脇ですが、全く有る事自体知りませんでした。ちゃんと看板も立って居るのに目に入らなかったのだから、関心が無いと,有るとでは大違いだなと思いました。




看板を読んで西国分の薬師堂にも行って見ました。薬師堂内には薬師如来像に脇侍の座像も祀られて居り、多くの小さなお弟子石仏も並んで祀られて居ました。

  


Posted by 林ちゃん at 04:59Comments(0)石神仏

2014年05月24日

保渡田町落合観音堂墓地を訪ねて

高崎市保渡田町の落合観音堂墓地を訪ねました。馬頭尊群が祀られて居ると聞いて訪ねました。
馬頭尊は頭に馬頭を乗せた馬頭尊像と文字塔の2種類有りますが、落合墓地には写真の様に、馬頭尊像と文字塔も多く祀られて居り、昔から落合の馬頭尊群として有名との事です。
墓地には観音堂も建立されて居ました。


多くの馬頭尊像が建立されて居ましたが、倒れかかったり、向きを変えたりされて居ましたが昔の人の馬に対する敬愛が偲ばれます。
  


Posted by 林ちゃん at 06:21Comments(0)石神仏

2014年05月17日

北原の百庚申塔

高崎市北原町村西に祀られて居る庚申塚を訪れました。
庚申塚には三基の塔に分けて、百の庚申文字を刻んだ{三石百字庚申塔が}有りました。青面金剛石塔に34文字、庚申像等には33文字、猿田彦大神には書体の異なる33文字が刻まれて居り、造塔は元治2年「1865」の銘が有りました、




           青面金剛像も祀られて居て享保20年」「1735」 の銘有り

      他にも多くの庚申文字が刻まれて居た石塔が多く建立されて居ました  


Posted by 林ちゃん at 05:37Comments(3)石神仏

2014年05月16日

金古町常仙寺墓地を訪ねて

金古町常仙寺墓地を訪ねました。墓地入口では六地蔵さんが迎えて呉れました。常仙寺の檀家さんは富豪の檀家が多く居られる様で、種々寄納、建立されて居ました。

一番に目に着いたのが私の大好きな詩人、坂村眞民の詩、「念ずれば花ひらく」の詩が大きな石に刻まれ建立されて居ました。過日NHKラジオ深夜便で、坂村真民記念館館長さんのお話を聞きましたが、此の念ずれば花ひらくの詩が石に刻まれ、全国では何百の寺で建立されて居るとの事でした。こんな近くのお寺で坂村眞民の詩が建立されて居て驚き、嬉しく思いました。

            大きな立派な観音様立像が建立されて居ました
  


Posted by 林ちゃん at 04:50Comments(2)石神仏

2014年05月14日

金古町常仙寺を訪ねて

高崎市金古町常仙寺を訪ねました。
山門北側には大きなお地蔵様が祀られて居ました。このお地蔵様は昭和6年5月16日、常仙寺の東に有った絹市場館で行われた映画会の際、フイルムに火が着いて、満員の館内がたちまち火の海と成り14人の焼死者を出した悲しい事故が有り、事故の一か月後に供養の為、建立されたと云うお地蔵さんです。




          お地蔵さんの傍らには馬頭尊塔も祀られて居ました。

山門南側には延命地蔵堂が建立されて居て中に祀られて居た御地蔵さんを残念ながら写真に収める事は出来ませんでしたが、地蔵様の説明文が有り、しみじみ読み手を合わせました。
  


Posted by 林ちゃん at 04:52Comments(2)石神仏

2014年05月13日

西国分の一石百馬頭尊

各地で見られる「百馬頭尊」石仏は頂上に馬頭をいただく石像と文字塔の2種類があるが、これは「一石百馬頭尊」といわれ、群馬県内唯一のものだと云う事です。
大きな石の正面に「馬頭観世音」と刻まれ。其の両側に書体の異なる百六の馬頭尊の文字が刻まれて居ました。裏面には嘉永6年「1853」森山部右衛門他13人の記名が有り一石に百の馬頭尊を表して、馬の供養と旅の安全を願ったものだと云う事です。





今回の西国分の一石百馬頭尊の取材に当たり、始め、午後に撮りに行き、パソコンに入力して見たが太い字さえ画面に出ず、直ぐ行って取り直したが又駄目、「原因は暗い杉林の中で東向き」翌朝又撮りに行き、何とか字が写ってアップする事が出来ました。
近いから良かったが、此れからは遠くの石神仏の取材に成る。石神仏の向きにより随分苦労が有るなと思わされた今回の取材でした。

         一石百馬頭尊の傍にも小さな馬頭尊が祀られて居ました。

一石百馬頭尊が見下ろす写真の坂道は旧道で「やきもち坂」と呼ばれて居るそうです  


Posted by 林ちゃん at 05:18Comments(0)石神仏