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2014年05月03日

榛名町長谷寺を訪ねて

高崎市榛名町坂東十五番札所白岩山長谷寺を訪ねました。よく通る道でしたが今迄、車を止めて迄参詣した事は無く初めての参詣でした。

 

境内に入ると一番に多くの無縁仏が祀られて居るのが目に着きました。丁度住職さんが境内に出て来て、無縁物に成ったお墓や仏像はこうして一カ所に集めて丁寧に祀って居ると話して居ました。

光背に火焔の不動明王立像が祀られて居ました。私は石神仏の勉強を始めて不動明王の像容に遭遇したのは初めてでした。

         南門のそばには庚申供養塔等も祀られて居ました。  


Posted by 林ちゃん at 04:53Comments(0)石神仏

2014年05月02日

保渡田町西光寺を訪ねて

高崎市保渡田町西光寺を訪ねました。西光寺は薬師塚古墳の南に接して居るお寺で、境内には国の重要文化財に指定されて居る、薬師塚古墳出土品を保管して居るお堂が有る事で有名です。
駐車場に車を止め、参道に向かうと入口にて6地蔵様が迎えて呉れました。


境内に入ると、薬師塚古墳出土品を保管しているお堂に上る階段の右側には立派な宝篋印塔が建立されて居りました。

     左側には十三層塔。観音像が並んで祀られて居ました。


 境内裏には二十二夜供養塔、庚申文字塔等が祀られて居ました。  


Posted by 林ちゃん at 05:41Comments(0)石神仏

2014年05月01日

高崎市倉渕町曹洞宗東善寺を訪ねて

作家司馬遼太郎が「明治の父」と評した最後の幕臣、小栗上野介が眠る東善寺を訪ねました。急な階段を喘ぎながらも上り、束線香を墓前に供え参詣する事が出来ました。こんな上に此の石塔を如何にして運び建立したのかと思いました。
隣りには三人の家臣の墓も有りました。
帰りに本堂に上がり遺品を見せて戴き、本も買って来ました。

           先ず、小栗上野介像に会いお墓に向かいました。

お墓に向かう階段の登り口には死んで三途の川を渡ると必ず会わなければ成らないと云う、閻魔大王像、奪衣婆像が左右に祀られて居ました。写真は奪衣婆像です

いくら政戦とは云え、罪も無く斬首されてしまった上野介の墓の前に立ち、改めて平和のこの世に生きて居られる事に深い感謝をしながら束線香を供え手を合わせました。

東善寺では上の閻魔大王像を始め多くの石仏像を目にする事が出来ました。  


Posted by 林ちゃん at 05:51Comments(0)石神仏

2014年04月30日

倉渕道の駅小栗の里を訪ねて

高崎広報4月15日号に大きく載って居た「本市初の道の駅倉渕小栗の里」を見て倉渕には道祖神始め石神仏の宝庫と聞き及んでいたし、広報にも「倉渕の魅力をぐっと凝縮、観光や歴史、文化などの情報発信基地と市民の交流の場として活用します。」と載って居り、4月29日石神仏の情報を求めて、胸躍らせ訪ねました。館内に入り、一番に他には見向きもせず、情報発信部に行きました。
早速ガラス越しに三基の「倉渕の道祖神」が展示されて居て、引きつけられました。写真に収めて係に、道祖神始め、倉渕の石神仏の調査をして纏めた本を買いに来たのだと話すと、その点に着きましては申し訳有りませんが、今日は祝日の為、倉渕支所、公民館、図書館も休みで問い合わせる事も出来ずと、弱り切って居ました。
オープンして未だ三日目揃って無いのは無理もないが私の思いと同じ質問が多く係りの方が気の毒でした。其れでも小栗上野介が眠る東善寺への案内を親切に戴き、多くの山菜を求めて東善寺に向かいました。




帰宅後、夕食に多くの倉渕の山菜を美味しく戴き、近い内に今度は問い合わせをして又、道の駅小栗の里へ行きたいと思って居ります。  


Posted by 林ちゃん at 06:10Comments(2)石神仏

2014年04月29日

足門の百庚申

高崎市足門町北部地区公民館の入口に2,5メートル程の大きな庚申塔が有ります。もとは観音寺境の旧三国街道に面して建てられて居たとの事です。
正面上部に「青面王」と大きく刻まれ、その下に書体を異にした「庚申」の文字が百通り書かれて居り、1基で百庚申とは珍しい例だと云う事です。
建立は嘉永3年「1850」との事です。


百庚申の傍らには同じく庚申供養塔、石宮庚申、青面金剛像も祀られて居り、台座には三猿、二猿が浮き彫りにて彫られて有りました。

           並んで馬頭尊像も建立されて居ました。  


Posted by 林ちゃん at 05:35Comments(0)石神仏

2014年04月28日

菅谷町浄眼寺

先日大壱寺の帰り、菅谷町浄眼寺に寄り、石神仏を写真に収めて来ました。
浄眼寺には入口右に立派な宝篋印塔が建立されていました。


入口左側には6地蔵様が祀られて居り.それぞれ地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道と皆背中に地蔵名が刻まれて居りました。
地蔵が6道を巡って衆生「一切の生き物」を救うと云う信仰にもとずくもので最近多くのお寺で、6地蔵様を祀ってあるのが目に着きます。  


Posted by 林ちゃん at 06:03Comments(0)石神仏

2014年04月27日

菅谷町大壱寺の宝塔

先日高崎市菅谷町大壱寺に重要文化財に指定されて居る,宝塔3基が建立されて居ると聞き行って見ました。
南北朝時代の作で,近辺最古の宝塔であり、それぞれ康永2年「1313年」
永和9年「1353年」明徳4年「1393年」の銘が刻まれて居り、
塔は上から相輪、傘、塔身、基礎の4つの部分に分かれて居ります。


      境内には聖観音菩薩像が建立されて居ました。  


Posted by 林ちゃん at 05:35Comments(0)石神仏

2014年04月25日

中里の火渡り

4月23日、高崎市中里町の火渡りについて調べ度く思い行って見ました。
中里の公民館に成って居り、同じ敷地に観音堂が建立されて居て、多くの石神仏も建立されて居り、一番に深い御嶽講の信仰を思わせる石碑が建立されて居ました。

中里の火渡り行事は木曽の御嶽山へ登って修業する行者の火行で、江戸時代の農村では五穀豊穣、家内安全、病魔撲滅などを願う人々の心と結びついて年中行事として定着し、現在でも4月17日に毎年実施されて居るとの事です  

 未だ最近建立されたと思われる子安観音像も建立されて居ました。


観音堂の裏には薬師如来の像も建立され、多くの庚申文字塔等も建立されて居ました。  


Posted by 林ちゃん at 05:57Comments(0)石神仏

2014年04月21日

西国分の

先日高崎市西国分町熊野神社の石神仏群を見に行って来ました。神社横奥に石神仏は建立されて居ました。一番に目に着いたのは蚕影大神の石碑でした。
西国分でも養蚕は盛んでしたのでやはり蚕の豊穣を祈願して建立されたのでしょう。


庚申供養塔が建立されて居てこの地域の庚申信仰の深さを感じました

庚申供養塔の後ろにも庚申文字石が30基以上祀られて居ました。

道祖神も3基建立されて居て、其の1基は夫婦和合をを願う、微笑ましい双体道祖神が祀られて居ました。  


Posted by 林ちゃん at 05:13Comments(2)石神仏

2014年04月19日

引間双体道祖神


私が生まれ育った現高崎市引間町中宿に、双体道祖神が2基並んで建立されて居ると、先日お墓の写真も溜まったので仏像名の教えを乞いに先駆者に伺って
初めて知りました。
生家の直ぐ前、どう考えても幼少の頃から今日迄、見た事も思い出せず、教えて戴いた場所に行って見たら、双体道祖神が並んで2基建立されて居ました。見てたのを忘れたとすれば、認知症の始まりかなと思い、嫌な複雑な気持ちに成りました。

  


Posted by 林ちゃん at 05:28Comments(0)石神仏

2014年04月13日

東国分の石神仏を訪ねて

先日石神仏の先駆者より東国分に、信州高遠の名工作の銘が刻まれて居る宝篋印塔が建立されてるとお聞きし行って見ました。
行って見ると総高6メートルも有る見事な宝篋印塔でした。

建立は寛政元年「1789」で「信州高遠御堂垣外村住,保科増右衛門英親」の銘が刻まれて居る事も聞きました。

同じ場所に神社が有り、裏に大きな石塔が3基建立されて居ました。先ず蚕影大神の塔、東国分では昔蚕の種屋さんなど資産家が多く蚕の豊作を願い建立されたものと思います。

    建立はやはり生産豊穣の願いからとうかがえます。


    この地域にも御嶽講が盛んだった事が偲ばれます。  


Posted by 林ちゃん at 05:46Comments(0)石神仏

2014年04月11日

箕郷町原山の石仏群

場所は箕郷町原山地区、松之沢方面に行く三叉路の先端に原山観音と大書し鳥居に掲げて有りました。
参拝して見ると庚申様の主尊像、文字塔、観音菩薩像、馬頭尊像、双体道祖神、長純寺に行くとき、ちょっと目にした石仏群、帰りに寄って来ました。
天王様等一緒に祀られて居たので道路の拡張などで一カ所に寄せて祀ったのかなと思いました。何方かに伺いたいと思いましたが人影も無く、又後で聞きたいと思いました。


向かって右に庚申の主尊青面金剛像、左に馬頭観音を脇侍に、真ん中にどんと観音様が祀られて居ました。観音様は世の人々を観察し、人々の願いを聞き取って救って呉れ多くの信仰を得て居るとの事です。

   双体道祖神も祀られて居ました。


二十三夜文字塔も祀られて居り、この地域の女人講が盛んだった事もしのばれますし八坂大神、道祖神の文字塔も祀られて居ました。  


Posted by 林ちゃん at 06:43Comments(2)石神仏

2014年04月10日

箕郷町長純寺桜観賞のはずが

4月9日、当地の桜は花吹雪に成ったが前から3、4日後が丁度良いと聞いて居る箕郷町長純寺の桜観賞に野菜作りに励む妻を連れ出し花見に出掛けました。
到着すると、花弁は全く飛ばず案の定最高の花見時でした。
花より団子ならぬ、石仏の勉強を始めて目に着くのは石仏、花より石仏、とばかりに直ぐ階段上に並ぶ石仏を拝みに階段を上りました。




階段を上がった本堂前右側に並ぶお地蔵様、6体ならぬ7体並んで居た
6地蔵は人が死ぬと、其の生前の善悪 によって、閻魔大王らが地獄、畜生、修羅、人間、天上など六つの世界「六道」へ裁くと云われる。そこで人々は生前から。救済のあかしのため、身代わり地蔵を建立して拝むのだと云います。


階段左側には立派な宝篋印塔「ほうきょういんとう」が建立されて居ました。


参道上り口でちょっと見た、石仏群が苦になり、参道を直ぐ下り参詣しました。

死んで三途の川を渡ると必ず会わなければ成らないと云う、冥途の裁判官、閻魔大王、奪衣婆にこんなに早くお目にかかれるとは、威厳な顔をしてお座りに成って居ました。
全面には左側にお地蔵様、右側には観世音菩薩様の立像が祀られて居ました。
  


Posted by 林ちゃん at 06:59Comments(2)石神仏

2014年04月09日

大国主命

小学生の時から友達の家に遊びに行った時,通る度に必ず目にする大国主命と大書した石塔が稲荷台には建立されて居て藤井さんに聞いて見ました。
現在でも日本三筆家と云われる、新潟県生まれの書道家雪城沢俊郷氏が藤井家の隠居家に長く逗留、近隣の人達に書道を教え、その時に稲荷台村中の人が総出で榛名の石を切り出し稲荷台まで運び、「どうにして運んだのだろう」土台は国分寺の礎石を使って建立したとの事、建立は元治元年「1882年」と云うから今から132年前と解るが何で大国主命なのか、何故に建立したのか資料は残って居らず残念ながら全くの不明と説明受けました。只石塔を横にして字の中に米を入れると五斗五升の米が入るとの言い伝えが有ると云う説明でした。
重機など無かった時代、幾ら村中総出と云っても良く建立出来たものだと思うし、随分お金も掛かっただろうなと思いました。



写真は一面六臂(6本の腕)、三眼の青面(しょうめん)金剛像、
庚申の主尊です下台座には見猿,言は猿、聞か猿の三匹の猿が浮き彫りであります。
  


Posted by 林ちゃん at 06:15Comments(0)石神仏

2014年04月08日

稲荷台の石神仏

引間の石神仏も一応全部見たので、石神仏の見方についても勉強出来たし、そろそろ他にも目を向けようと考えて稲荷台墓地に行き、石仏像を写真に収め、アルバムにして稲荷台の大先輩藤井英雄さん「88歳」にご指導仰ぎたくご自宅に電話してご指導を乞うた処、写真より現地でと話され、即現地での説明に来て下さいました。
誠に有り難く思いました。石仏の見方とポイントについては入門書でだれが「願主、施主等」いつ「年、月,日」どこで「所在地」なにお「信仰の対象、主尊」
なぜ「祈願内容、信仰の種別」どのようにして「勧進、寄進」建立したのかを頭に入れてと記して有り、その通りに考え写真には収める積もりだが、其れが本当に難しい事が今日迄によく解って来ました。
現地で藤井さんに種々説明戴きましたが藤井家は旧家でハワイの総領事官をなされ51歳の若さにて首に出来た腫瘍の手術の失敗で亡くなり死後大使級の勲章を授与され、ご夫婦で藤井家のお墓に祀られて居る事等聞き感銘を受けました。

大使級の勲章を授与された藤井三郎氏の墓

藤井家の先祖で育ての親に感謝して建立されたと云う子育て観音、藤井家の表紋、裏紋も入れ、掘り込みも細やかな立派な仏像で当時としても可成りの出費だったろうと、2人で話しました。


此れが宝篋印塔だよと説明を受けました。塔部分にはお経も収められて居るそうです。

立派な二十二夜様も建立されて居て、稲荷台ではつい近年まで女人講が盛んに開催されて居たそうです。
  


Posted by 林ちゃん at 06:59Comments(0)石神仏

2014年04月07日

共同墓地に行く

我が家の墓は単独墓地で、引間花園共同墓地には行く事も有りませんでしたが、先日、長時間花園共同墓地にお邪魔しました。
墓地内の石仏像の多さには驚きました。
年代を感じさせる昔の石仏像、最近建立の新しい先祖代々の墓にも子育て地蔵や大日如来像等を祀ってある墓も有りました。
此れが五輪塔という塔なのかと初めて認識できたし、国府村史に載って居る、各偉人さんの墓にも参拝出来ました。
多くの石仏像を写真に収め、アルバムにして、此れから各石仏像の名前を先駆者にご教示戴き早く覚えたいと思って居る処です。
石仏像は、顔の表情、お姿、手の位置、持ち物、衣服、冠等で仏像名が解るのだそうですが見ただけでは私には未だ解りません。

五輪塔と初めて認識出来ました。上から空輪、風輪、火輪、水輪、地輪の五つの部分からと本では示されて居ります。

大日如来像「真言宗の本尊」も初めて覚える事が出来ました、  


Posted by 林ちゃん at 06:10Comments(0)石神仏

2014年03月31日

引間の石神仏について

石神仏に興味を持ち、勉強を始めて一か月余り、種々石神仏についての本を読むと他所の石神仏が見たく成るが先ずは生まれ育った我が引間の石神仏の勉強をしてと心に決めて今日に至って居る。
現代は医学、防災対策、疫病対策も進歩して行き届いて居るが、昔は生きて行く上で祈願のみで有り、種々信仰が産まれた様だ。
私が産まれ育った高崎市引間町、四地区に分かれて全て行われて居るが、庚申塔は四地区の他、諏訪神社には寛永10年「381年前」に建立された石道型庚申塔が祀られて居り、公民館前にも古い庚申塔が祀られて居ります。
引間地区の石神仏について勉強しても、庚申様、天王様、蚕神、火伏の神様秋葉大神、道祖神、薬師様、お地蔵様等が祀られて居り、講も開かれお供えをして延命、治病、息災、安産、育児、五穀豊穣を祈願、村はずれに祀られて居る地蔵様のお祭りではこの村に悪い疫病、交通事故等起きない様に祈願するそうです。
特に年末に開催される火伏の神様秋葉大神の講では忘年会もかねて、来年の各役員、当番を決めていて大きなコミニケーションの場に成って居り、末長く続けて行こうと云う機運が強いとの事です
写真は上から上宿の庚申塔、諏訪神社の庚申塔、下宿の庚申塔


  


Posted by 林ちゃん at 08:05Comments(0)石神仏

2014年03月30日

塚田町花園薬師堂について

高崎市塚田町に花園薬師堂が立てられて居ると聞き、近くなので散歩乍ら探しに出掛けました。
村はずれに有ってお堂が有り、中にはお弟子さんと云われる多くの小さい石仏像が祀られて居ました。薬師如来は薬師瑠璃光如来と云い、阿弥陀の西方に対して東方の教主で有る。日光、月光の両菩薩を脇侍とし、十二神将を眷属とする。薬師如来十二請願の中に「徐病安楽」があり、衆生の病気を除き、安楽に菩提を得さしめるとある事から、医薬をつかさどり万病を治す仏として多くの信仰を集めた。現世利益の仏として、お寺の堂とは別に薬師堂が立てられ、今でも盛んな信仰を得て居ると本には記されて居ります。
薬師如来様は各字でも祀られて居り、戦後まで取った取られたと大騒ぎして取り合った事は記憶に有りますが、現在は其の風習は無く成り、何処の字の薬師様の石仏像も安心した様な顔で祀られて居ります。
写真上花園薬師堂、中に祀られて居た御弟子さん達の石仏像、外にも薬師如来像の石仏像が祀られて居ました。


  


Posted by 林ちゃん at 06:21Comments(0)石神仏

2014年03月29日

引間十王堂石仏像について

私の住む高崎市引間町公民館の前は十王堂でした。現在でも一間棚を作り安置して引間区として十王石仏像の供養お祭りを開きます。
私は先日総会の時、区長さんにお願いして写真を撮らせて戴きました。十王石仏像にお目にかかり、手を合わせる事も初めてでした。
十界十王石像仏
十界とは地獄界、餓鬼界、畜生界、阿修羅界、人間界、天井界、「以下迷界すなわち凡夫の世界」、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界「以上悟界すなわち聖者の世界」で仏教の世界観の一つ。十王とは亡者の罪業を裁く十人を王という。
鎌倉期の「地蔵十王経」の普及に伴いこの信仰は全国に浸透して各地に十王堂の建立を見たと本には記されて居ります。
引間の十王石仏像は9体で十王信仰の中心仏と云われる閻魔像が無いのが残念です。写真棚に安置されて居る十王石像仏上、三途の川岸で亡者の衣服をはぎ取るという奪(だつ)衣(え)婆像(ばぞう)中、生前に悪業を重ねた者の首をさらす首(くび)台(だい)人頭(じんとう)杖(つえ)下。


  


Posted by 林ちゃん at 06:06Comments(2)石神仏

2014年03月27日

妙見寺石殿について

高崎市引間町妙見寺境内に石殿が祀られて居り、地元の人達はおまんま様と呼び親しんで居る。私は今迄堂内に仏像が安置されて居る事自体知りませんでした。調べて見ると、石殿内には勢至菩薩座像が安置されて居り、国府村史に寄ると石殿も勢至菩薩座像も製作建立は室町初期と考えられると記して有りました。
写真は石殿と中に安置されている勢至菩薩座像、暗くて全体像は解りませんが
「「勢至菩薩は弥陀三尊の脇侍。知恵をつかさどる菩薩」との事です。

  


Posted by 林ちゃん at 05:37Comments(4)石神仏