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2015年02月26日
秩父34観音巡り第9番札所明智寺を参詣して
2月16日この日秩父34観音巡り3ケ寺目に第9番札所明智寺を参詣しました。明智寺は秩父郡横瀬町横瀬2160に祀られて居り、本尊は如意輪観世音菩薩。
この寺は無住で只観音堂が有るだけです此の地域全体でお守りし、寺の維持、管理、御朱印も交代で寺守りをして居ると云うお話をお伺い感動しました。





天正「1573-9」のころ、横瀬の村に兵衛と云う貧しい少年がいた、家には盲目の母が居るのみで、生活を支える者は居なかった。少年は母をいたわりながら林に行って木の実を拾い、其れを食べて命をつないでいた。
ある日、少年が観音堂の近くで木の実を拾って居ると老僧があらわれ、「観音経の無垢清浄光、慧日破諸闇」の二句を唱えなさい」と教えて呉れた。少年は早速家に帰り、母を連れて観音堂へ参拝し、その夜は観音堂で過ごし、母子ともども一心に読経した。明け方、内陣から「明々たる星が」飛び出て母の頂を照らし、たちまち母の眼は開き、暗黒の世界から解放された。
それを知った領主は,孝心深き少年に田畑を与え、本尊の霊験を後世に伝えようと,寺号を明星山にしたと云う.子と親の純愛物語に、、それに観世音の御利生を説きそれに為政者の善政を加えた縁起だが、これを単なる古人の創作として受け取らないで、そこに潜む真理をくみとりたいものである。
以上秩父観音巡礼の本に記して有った文ですが感じるものが大きく全文をそのままアップしました。
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この寺は無住で只観音堂が有るだけです此の地域全体でお守りし、寺の維持、管理、御朱印も交代で寺守りをして居ると云うお話をお伺い感動しました。





天正「1573-9」のころ、横瀬の村に兵衛と云う貧しい少年がいた、家には盲目の母が居るのみで、生活を支える者は居なかった。少年は母をいたわりながら林に行って木の実を拾い、其れを食べて命をつないでいた。
ある日、少年が観音堂の近くで木の実を拾って居ると老僧があらわれ、「観音経の無垢清浄光、慧日破諸闇」の二句を唱えなさい」と教えて呉れた。少年は早速家に帰り、母を連れて観音堂へ参拝し、その夜は観音堂で過ごし、母子ともども一心に読経した。明け方、内陣から「明々たる星が」飛び出て母の頂を照らし、たちまち母の眼は開き、暗黒の世界から解放された。
それを知った領主は,孝心深き少年に田畑を与え、本尊の霊験を後世に伝えようと,寺号を明星山にしたと云う.子と親の純愛物語に、、それに観世音の御利生を説きそれに為政者の善政を加えた縁起だが、これを単なる古人の創作として受け取らないで、そこに潜む真理をくみとりたいものである。
以上秩父観音巡礼の本に記して有った文ですが感じるものが大きく全文をそのままアップしました。
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2015年02月24日
秩父34観音巡り第7番札所長法寺を参詣して
2月16日この日二ケ寺目に第7番札所長法寺を参詣しました。長法寺は第6番札所ト雲寺よりわずか一キロ秩父郡横瀬町横瀬1508に祀られて居り、本尊は十一面観世音菩薩。



矢張り武甲山は境内より真正面に雄姿を見せて居ました。山門前には広い駐車場も有り、「不許軍酒入山門」と大きな題目塔が建立されて居ました・



昔花園左衛門の家来が戦に敗れ、この地へ落ち延びて亡くなりました。其の妻の夢に亡き夫があらわれ牛の子に産まれて苦しんでいると、救いを乞うた。妻は出家して夫を救った。また、一頭の牛に化身した観世音の暗示によって牧童が草庵を結び、十一面観音像を安置した。この寺の草創で有る。牛臥堂もこれにちなんで名付けられたと記されて有りました。



矢張り武甲山は境内より真正面に雄姿を見せて居ました。山門前には広い駐車場も有り、「不許軍酒入山門」と大きな題目塔が建立されて居ました・



昔花園左衛門の家来が戦に敗れ、この地へ落ち延びて亡くなりました。其の妻の夢に亡き夫があらわれ牛の子に産まれて苦しんでいると、救いを乞うた。妻は出家して夫を救った。また、一頭の牛に化身した観世音の暗示によって牧童が草庵を結び、十一面観音像を安置した。この寺の草創で有る。牛臥堂もこれにちなんで名付けられたと記されて有りました。
2015年02月22日
秩父34観音巡り第6番札所ト雲寺を参詣して
2月16日、この日は2泊3日で坂東33観音巡り神奈川県内の9ケ寺を参詣に行く予定で有ったが、17,18日と天気の悪い予報で急遽日帰りで秩父34観音巡りに変更、先ず6番札所ト雲寺から参詣、8ケ寺を参詣して4時前無事帰宅しました。6番札所ト雲寺は「ぼくうんじ」秩父郡横瀬町横瀬1430に祀られて居り、本尊は聖観世音菩薩。




ご本尊の聖観世音は、36センチの立像で行基菩薩の作と伝えられ、当初は武甲山頂の座王権現社に安置されて居たが、その後藪沢の「とか池」という所の小堂に安置された。「とか池」には萩が多く繁り、付近は幽邃な空気がただよって居た。この静寂な池を好んで禅僧が度々訪れ、後に禅僧はここを永住の地とし堂宇を建立し、萩の堂と名付けた。その後宝暦10年『1760年』堂宇は現在の地に移されたと記されて有ります。境内から見る武甲山の眺望は素晴らしく息を飲む思いでした。




ご本尊の聖観世音は、36センチの立像で行基菩薩の作と伝えられ、当初は武甲山頂の座王権現社に安置されて居たが、その後藪沢の「とか池」という所の小堂に安置された。「とか池」には萩が多く繁り、付近は幽邃な空気がただよって居た。この静寂な池を好んで禅僧が度々訪れ、後に禅僧はここを永住の地とし堂宇を建立し、萩の堂と名付けた。その後宝暦10年『1760年』堂宇は現在の地に移されたと記されて有ります。境内から見る武甲山の眺望は素晴らしく息を飲む思いでした。

2015年02月20日
秩父34観音巡り第8番札所西善寺を参詣して
この日2月7日、第10番札所大慈寺に続きこの日参詣予定最後の第8番札所最善寺を参詣しました。最善寺は秩父郡横瀬町横瀬598に祀られて居り、本尊は十一面観世音菩薩。





本尊の十一面観音像は秘仏で恵心僧都の作、開基は旅僧で開山は臨済宗円福寺の第三世竹印和尚。本堂は文化7年『1825年』本堂前の天然記念物「コミネモミジ」の巨木は素晴らしいものでした



本尊の十一面観音像は秘仏で恵心僧都の作、開基は旅僧で開山は臨済宗円福寺の第三世竹印和尚。本堂は文化7年『1825年』本堂前の天然記念物「コミネモミジ」の巨木は素晴らしいものでした
2015年02月18日
秩父34観音巡り第10番札所大慈寺を参詣して
この日2月7日、第5番札所長興寺に続き第10番札所大慈寺を参詣しました。
大慈寺は秩父郡横瀬町横瀬5151に祀られて居り本尊は聖観世音菩薩。





開山は延徳2年「1490年」東雄禅師によると記されて有ります。参詣を済ませて御朱印を戴き、今日参詣予定7ケ寺目の第8番札所最善寺を目指しました。
大慈寺は秩父郡横瀬町横瀬5151に祀られて居り本尊は聖観世音菩薩。





開山は延徳2年「1490年」東雄禅師によると記されて有ります。参詣を済ませて御朱印を戴き、今日参詣予定7ケ寺目の第8番札所最善寺を目指しました。
2015年02月16日
秩父三十四観音巡り第5番札所長興寺参詣して
この日2月7日第4番札所金昌寺を参詣して続いて第5番札所長興寺を参詣し
ました。長興寺は秩父郡横瀬町横瀬6086に祀られて居り、本尊は准胝観世音菩薩。






この寺の住職様はハスの花が大好きの様で四斗樽位の桶を何十と庫裏の前庭や本堂前に並べてハスを植栽して有りました。参詣御朱印も戴き、次は第10番札所大慈寺を目指しました。
ました。長興寺は秩父郡横瀬町横瀬6086に祀られて居り、本尊は准胝観世音菩薩。






この寺の住職様はハスの花が大好きの様で四斗樽位の桶を何十と庫裏の前庭や本堂前に並べてハスを植栽して有りました。参詣御朱印も戴き、次は第10番札所大慈寺を目指しました。
2015年02月13日
秩父34観音巡り第3番札所常泉寺参詣して
この日2月7日秩父34観音巡り第2番札所真福寺より、第3番札所常泉寺を参詣しました。常泉寺は秩父市山田1392に祀られて居り、本尊は聖観世音菩薩。


このお寺は弘化4年『1847年』全焼し後の安政5年『1858年』再建されたものだと記して有ります。参詣を済ませて次の第4番札所金昌寺に向かいました。
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このお寺は弘化4年『1847年』全焼し後の安政5年『1858年』再建されたものだと記して有ります。参詣を済ませて次の第4番札所金昌寺に向かいました。
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2015年02月11日
秩父34観音巡り第2番札所真福寺参詣して
この日「2月7日」第1番札所四萬部寺に続き第2番札所真福寺を参詣しました。
真福寺は秩父市山田3095に祀られて居り、ご本尊は聖観世音菩薩、開基は大棚禅師。参道に鋳造の仁王像が祀られて居た。




寺伝によると、開基の大棚禅師が、老後鬼丸という岩谷にこもっているとき、一人の老婆が帰依して、過去をざんげし竹杖をおいて立ち去った。あわれんだ禅師は、その供養のために堂宇を建立した。これが寺の始まりで学識の深い禅師は人々から慕われ、その名が地名にもなったという。
その後鉄厳全鈯が現在の地に堂宇を移したと云われる。今の本堂は明治36年頃に立てられたものだが、もとの本堂は壮麗を極めたと伝えられて居る。と本には記して有りました。
真福寺は秩父市山田3095に祀られて居り、ご本尊は聖観世音菩薩、開基は大棚禅師。参道に鋳造の仁王像が祀られて居た。



寺伝によると、開基の大棚禅師が、老後鬼丸という岩谷にこもっているとき、一人の老婆が帰依して、過去をざんげし竹杖をおいて立ち去った。あわれんだ禅師は、その供養のために堂宇を建立した。これが寺の始まりで学識の深い禅師は人々から慕われ、その名が地名にもなったという。
その後鉄厳全鈯が現在の地に堂宇を移したと云われる。今の本堂は明治36年頃に立てられたものだが、もとの本堂は壮麗を極めたと伝えられて居る。と本には記して有りました。
2015年02月09日
秩父34観音巡り第1番札所四萬部寺に初願して
私の坂東三十三観音巡りは半道中、秩父34観音巡りは後でと思って居たが、併願して同時進行にと考えも変わり、去る2月7日秩父34観音巡りの第1番札所四萬部寺「しまぶじ」を訪ねました。




四萬部寺は秩父市栃谷418に祀られて居り、ご本尊は聖観世音菩薩。
此れから秩父34観音巡りを始めるのに必要な御朱印帳、「庶民に親しまれた信仰のみち」平幡良雄著の秩父観音巡礼の本も求めて住職さんにもお話を伺い、秩父34観音巡りを始めました。
四萬部寺は元禄10年「1697」に建立し、宝暦6年「1756」に改修された瓦葺で、入母屋作りの本堂は県文化財に成って居ました。
私は車だが徒歩で参詣する方も随分見たし、バスで34観音巡りの団体さんにも行き合いました。




四萬部寺は秩父市栃谷418に祀られて居り、ご本尊は聖観世音菩薩。
此れから秩父34観音巡りを始めるのに必要な御朱印帳、「庶民に親しまれた信仰のみち」平幡良雄著の秩父観音巡礼の本も求めて住職さんにもお話を伺い、秩父34観音巡りを始めました。
四萬部寺は元禄10年「1697」に建立し、宝暦6年「1756」に改修された瓦葺で、入母屋作りの本堂は県文化財に成って居ました。
私は車だが徒歩で参詣する方も随分見たし、バスで34観音巡りの団体さんにも行き合いました。
2015年02月06日
坂東三十三観音巡り第27番札所銚子円福寺を参詣して
この日、1月21日第28番札所滑川観音を後にして銚子の第27番札所円福寺を訪ね参詣しました。第28番滑川観音より63キロの行程でした。立派な山門、五重の塔,本殿目を見張る思いで参詣しました。此処では御朱印は2百メートルも離れた寺で戴きました。





この寺は千葉県銚子市馬場町293に祀られて居て、宗派は真言宗、本尊は11面観世音菩薩、開基は弘法大使、創立は神亀5年「728年」、参詣後此処まで来たのだからと犬吠埼灯台を訪ねました。


自分の運転で犬吠埼灯台迄訪れる事が出来て、本当に嬉しく、感動しながら、白波上げる太平洋、灯台を写真に収めて来ました。
帰宅後、犬吠埼から松戸経由で自宅までの走行キロ数を調べて見たら275キロでした。
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この寺は千葉県銚子市馬場町293に祀られて居て、宗派は真言宗、本尊は11面観世音菩薩、開基は弘法大使、創立は神亀5年「728年」、参詣後此処まで来たのだからと犬吠埼灯台を訪ねました。


自分の運転で犬吠埼灯台迄訪れる事が出来て、本当に嬉しく、感動しながら、白波上げる太平洋、灯台を写真に収めて来ました。
帰宅後、犬吠埼から松戸経由で自宅までの走行キロ数を調べて見たら275キロでした。
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2015年02月03日
板東三十三観音巡り第28番札所龍正院を参詣して
前にもアップしたが茨城県内の4観音巡りを午後早く済ませて、つくば市で暮らす姪宅を訪問、内孫が学ぶ筑波大ギャラリーの見学、宇宙センターの見学、夕食を姪一家と孫を交えた楽しかった夕食、姪は我が家に泊まれと進めて呉れたがビジネスホテルに宿泊、早朝6時前宿を後にして成田の滑川観音龍正寺に到着、寺の対応は8時から、早く着いてしまい境内をゆっくり散策、茅葺の仁王門は国の重要文化財に成って居り、立派な宝篋印塔、稲荷堂、多くの石造仏像等が祀られて居た。近隣の厚い信仰で賑う寺の様だ。



微笑ましい双体道祖神や石仏像が多く建立祀られて居ました。

石造でなく鋳造の宝篋印塔を初めて参詣しました。



この寺は千葉県成田市滑川1196に祀られて居て、宗派は天台宗、本尊は十一面観音菩薩,開基は慈覚大師、創立は承和5年『838年』8時に成り御朱印を戴き次の27番札所円福寺を目指した。初めて通る道、パソコンにて画面ドライブをして来たが、思ったより素晴らしかった、国道356号線「利根水郷ライン」を一路銚子の第27番札所円福寺をめざしました。



微笑ましい双体道祖神や石仏像が多く建立祀られて居ました。

石造でなく鋳造の宝篋印塔を初めて参詣しました。



この寺は千葉県成田市滑川1196に祀られて居て、宗派は天台宗、本尊は十一面観音菩薩,開基は慈覚大師、創立は承和5年『838年』8時に成り御朱印を戴き次の27番札所円福寺を目指した。初めて通る道、パソコンにて画面ドライブをして来たが、思ったより素晴らしかった、国道356号線「利根水郷ライン」を一路銚子の第27番札所円福寺をめざしました。
2015年02月01日
坂東三十三観音巡り第25番札所大御堂を参詣して
この日1月20日第24番札所楽法事よりこの日参詣予定最後の25番札所大御堂に到着、24番札所楽法事よりここでは23キロの行程だった。
この寺は徳川幕府の尊崇が厚く、前寺には特に家光公は三重塔、鐘楼、楼門を造建したと記されて有り、現在の大御堂は昭和36年に建立されたとの事です。





この寺は茨城県つくば市筑波748に祀られて居り、宗派は真言宗豊山派、本尊は千手十一面観音像、開基は徳溢法師、創立は延暦元年「782年」これでこの日の予定参詣も終わり、午後1時過ぎつくば市で暮らす姪宅に向かいました。
この寺は徳川幕府の尊崇が厚く、前寺には特に家光公は三重塔、鐘楼、楼門を造建したと記されて有り、現在の大御堂は昭和36年に建立されたとの事です。
この寺は茨城県つくば市筑波748に祀られて居り、宗派は真言宗豊山派、本尊は千手十一面観音像、開基は徳溢法師、創立は延暦元年「782年」これでこの日の予定参詣も終わり、午後1時過ぎつくば市で暮らす姪宅に向かいました。
2015年01月28日
坂東三十三観音巡り第24番札所楽法寺を参詣して
この日、1月20日23番札所観世音寺より第24番札所楽法寺に向かい行程はわずか27キロで到着しました。




この寺は筑波連峰の端を占める雨引山の中腹に立つ。「雨引かんのん」として知られ「安産」の祈願を込める人も多いと云う。仁王門をくぐると延長100メートル、高さ30メートルの大きな石垣が有り、その積み方の素晴らしさ、見事さにしばし見とれました。その昔よく此れだけの石垣が積められたものだと思いました。




この寺は茨城県桜川市本木1に祀られて居り、宗派は真言宗豊山派、本尊は延命観世音菩薩、開祖は法輪独守居士、創立用明天皇二年「587」と記されて居ました。本堂、境内をゆっくり参詣してこの日の予定参詣最後の25番札所大御堂に向かいました。
2015年01月26日
坂東三十三観音巡り第23番札所観世音寺参詣して
この日。、1月20日第26番札所清瀧寺より第23番札所観世音寺を目指すのに又常磐道を経由土浦北ICより入り、友部ICを下り50号線を辿って笠間稲荷神社も先に参詣して第23番札所観世音寺に到着、清滝寺より走行キロ数は60キロを記録していました。
資料によれば現在でも寺域は広大で椿、梅で始まり、桜、つつじ、しゃくなげ、さつき、あじさい、秋には紅葉で心安らぐ寺として広く親しまれて居るとの事です。


このお寺も階段が多く大変だった。

この寺は笠間市笠間1056-1に祀られて居り、寺の宗派は普門宗、本尊は十一面千手観世音菩薩、開基は粒浦氏、創立は白雉2年『651」と記されて居ました。参詣を済ませて次の24番札所楽法寺を目指しました。
資料によれば現在でも寺域は広大で椿、梅で始まり、桜、つつじ、しゃくなげ、さつき、あじさい、秋には紅葉で心安らぐ寺として広く親しまれて居るとの事です。


このお寺も階段が多く大変だった。

この寺は笠間市笠間1056-1に祀られて居り、寺の宗派は普門宗、本尊は十一面千手観世音菩薩、開基は粒浦氏、創立は白雉2年『651」と記されて居ました。参詣を済ませて次の24番札所楽法寺を目指しました。
2015年01月24日
坂東三十三観音巡り第26番札所清瀧寺を参詣して
この日1月20日、予てから予定して居た茨城県内に有る4観音と千葉県内に有る二観音を巡る為朝5時半ブログを更新して出発した。予めパソコンの画面で仮想ドライブして居り調べて有るので気楽に出掛けた。
関越道、北関東道と進み、出流原SAで一服、8時前に着いても対応して戴けないので又笠間SAで一休み、常磐道を経由土浦北ICで下り清瀧寺に到着。
時間は8時20分、走行キロ数を計算したらなんと155キロだった。




清滝観音寺の宗派は真言宗豊山派、本尊は聖観世音菩薩、開基は行基菩薩、創立は推古天皇15年『607』筑波山を望む土浦市小野1151に建立祀られて居ました。参詣するのに階段が急で長く息が切れました。
参詣を済ませて次の23番札所観世音寺を目指しました。
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関越道、北関東道と進み、出流原SAで一服、8時前に着いても対応して戴けないので又笠間SAで一休み、常磐道を経由土浦北ICで下り清瀧寺に到着。
時間は8時20分、走行キロ数を計算したらなんと155キロだった。




清滝観音寺の宗派は真言宗豊山派、本尊は聖観世音菩薩、開基は行基菩薩、創立は推古天皇15年『607』筑波山を望む土浦市小野1151に建立祀られて居ました。参詣するのに階段が急で長く息が切れました。
参詣を済ませて次の23番札所観世音寺を目指しました。
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2015年01月18日
坂東三十三観音巡り第13番札所浅草浅草寺を参詣して
坂東三十三観音巡りを始めてからはこの浅草寺には初めての参詣だが過去何回も参詣して居る。矢張り坂東三十三観音巡りの参詣と成ると祈願の真剣さが違う。「ぴんぴんころり」を真剣に祈願、境内に7福神も祀られて居たり、鋳造の観音菩薩像、勢至菩薩像の大きな像が建立祀られて居たのも初めて目に着き写真に収めて来ました






坂東三十三観音巡りは全部自分の運転で巡りたいと念じて居りましたが、駐車場の事、混雑さが気に成り都心乗り入れに不安を持ったが幸い此のバスツアーの開催を知り、参加して参詣する事が出来ました。
浅草寺参詣後雷門前の観光センター8階の展望室に上り展望を楽しみましたが、赤い東橋も手に取る様に良く見えたし、アサヒビール館、スカイツリー、仲見世通り等の展望も写真に収めて来ました。











坂東三十三観音巡りは全部自分の運転で巡りたいと念じて居りましたが、駐車場の事、混雑さが気に成り都心乗り入れに不安を持ったが幸い此のバスツアーの開催を知り、参加して参詣する事が出来ました。
浅草寺参詣後雷門前の観光センター8階の展望室に上り展望を楽しみましたが、赤い東橋も手に取る様に良く見えたし、アサヒビール館、スカイツリー、仲見世通り等の展望も写真に収めて来ました。




2015年01月16日
成田山新勝寺に初詣に行って来ました。
坂東三十三観音巡りの第13番札所に成って居る浅草浅草寺と成田山新勝寺、両寺の初詣ツアーで去る1月14日日帰りツアーで成田山新勝寺を参詣して来ました。年明け二週にも成るのに大変の人混みでした。


昨年もこのツアーで行きましたが、多くの土産物店が軒を連ね、広い範囲に駐車場が有り、皆満杯状態、普通車、小型で一日八百円とうたって居たが、一日中預ける人は居ない次々入れる。大きな稼ぎである。門前町はお陰横丁だと思い見て来ました。




昨年もこのツアーで行きましたが、多くの土産物店が軒を連ね、広い範囲に駐車場が有り、皆満杯状態、普通車、小型で一日八百円とうたって居たが、一日中預ける人は居ない次々入れる。大きな稼ぎである。門前町はお陰横丁だと思い見て来ました。




2015年01月14日
坂東三十三観音巡り第9番札所都幾山慈光寺を参詣
昨年12月25日、この日埼玉県内に有る観音巡り4ケ寺目の埼玉県比企郡ときがわ町に有る第9番札所都幾山慈光寺を安楽寺を後にして向かい参詣しました。
カーナビの案内に任せての走行でしたが小川町を過ぎ秩父の奥深く曲がりくねった林道を進み、埼玉県にはこんなに山が有ったとはと思いつつの運転でしたが無事到着、矢張り山の中腹に祀られて居り、本堂横の駐車場に車を止め本堂を目指しましたが12月25日だと云うのに写真の通り落葉樹に葉が多く残って居た木が有り、不思議に思いました。


御詠歌に「聞くからに 大慈大悲の慈光寺 誓いも共に 深きいわどの」と詠われて居り「天台別院一乗法華院」とした鎌倉時代に鋳造の梵鐘銘に「天台別院慈光寺」と有りその昔の繁栄ぶりが偲ばれるますと説明でした。
慈光寺の宗派は天台宗、本尊様は「先手千眼観世音菩薩」開祖は慈光老翁、創立白鳳2年「673年」此処でも住職様直々の歓待を受けて参詣出来ました。
住職さんにお礼を申し上げ、表に出て埼玉県の天然記念物に指定されて居る大きな多羅葉の木に気が着き写真に収めて来ました。


歴史ものの梵鐘、露座の阿弥陀如来像には手を合わせ「ぴんぴんころり」を祈願しました
」


此れで宇都宮に前夜宿泊、早朝行動を起こした事が効を成し、埼玉県内の4ケ寺の観音巡りを午後早く終らせ家路につく事が出来たお蔭で午後4時前無事帰宅出来ました。
二日間の総走行キロ数をチェックして見たら六百四十二キロを記録して居た、多くの皆さんから疲れただろうと声を掛けられたが別に疲れは感じなかったし、坂東三十三観音巡りを当初の目的通り、自分の運転で坂東三十三観音巡りをすると云う結願迄の行程にも大きな自信が持てました。
またこの20日には茨城県の4ケ寺巡りを決行する予定です。
カーナビの案内に任せての走行でしたが小川町を過ぎ秩父の奥深く曲がりくねった林道を進み、埼玉県にはこんなに山が有ったとはと思いつつの運転でしたが無事到着、矢張り山の中腹に祀られて居り、本堂横の駐車場に車を止め本堂を目指しましたが12月25日だと云うのに写真の通り落葉樹に葉が多く残って居た木が有り、不思議に思いました。


御詠歌に「聞くからに 大慈大悲の慈光寺 誓いも共に 深きいわどの」と詠われて居り「天台別院一乗法華院」とした鎌倉時代に鋳造の梵鐘銘に「天台別院慈光寺」と有りその昔の繁栄ぶりが偲ばれるますと説明でした。
慈光寺の宗派は天台宗、本尊様は「先手千眼観世音菩薩」開祖は慈光老翁、創立白鳳2年「673年」此処でも住職様直々の歓待を受けて参詣出来ました。
住職さんにお礼を申し上げ、表に出て埼玉県の天然記念物に指定されて居る大きな多羅葉の木に気が着き写真に収めて来ました。


歴史ものの梵鐘、露座の阿弥陀如来像には手を合わせ「ぴんぴんころり」を祈願しました
」


此れで宇都宮に前夜宿泊、早朝行動を起こした事が効を成し、埼玉県内の4ケ寺の観音巡りを午後早く終らせ家路につく事が出来たお蔭で午後4時前無事帰宅出来ました。
二日間の総走行キロ数をチェックして見たら六百四十二キロを記録して居た、多くの皆さんから疲れただろうと声を掛けられたが別に疲れは感じなかったし、坂東三十三観音巡りを当初の目的通り、自分の運転で坂東三十三観音巡りをすると云う結願迄の行程にも大きな自信が持てました。
またこの20日には茨城県の4ケ寺巡りを決行する予定です。
2015年01月12日
坂東三十三観音巡り第11番札所吉見観音安楽寺を参詣
昨年12月25日、この日埼玉県内に有る観音寺3ケ寺目の第11番札所吉見観音安楽寺を参詣しました。
安楽寺の宗派は真言宗智山派、本尊様は聖観世音菩薩、開祖は坂上田村麻呂、創立は大同元年[806]と記されて居り、この日,
寺には庭師が数人来て、庭の木を剪定して居ました。安楽寺でも住職さん直々に本堂内を案内して呉れ、お茶を入れ乍ら種々説明下され本当に嬉しく思いました。
埼玉県内に有る4ケ寺目の第9番札所慈光寺へ行きたいと話すと親切に道順を教えて呉れました

本堂前に鋳造で露座の阿弥陀如来像【寛政2年「1790年」が建立されて居り、重厚な歴史を感じさせて呉れ、暫く手を合わせ乍ら向かい合い、この坂東三十三観音巡りの無事結願をお願いしました。又本堂裏にお地蔵様も祀られて居り、お参り手を合わせて来ました。


このお寺山門に立派な阿吽の金剛像が祀られて居ますのに参道入り口にも石造の金剛像が寄進で建立されて居たほか多くの石仏像が建立祀られて居ました。



安楽寺の宗派は真言宗智山派、本尊様は聖観世音菩薩、開祖は坂上田村麻呂、創立は大同元年[806]と記されて居り、この日,
寺には庭師が数人来て、庭の木を剪定して居ました。安楽寺でも住職さん直々に本堂内を案内して呉れ、お茶を入れ乍ら種々説明下され本当に嬉しく思いました。
埼玉県内に有る4ケ寺目の第9番札所慈光寺へ行きたいと話すと親切に道順を教えて呉れました

本堂前に鋳造で露座の阿弥陀如来像【寛政2年「1790年」が建立されて居り、重厚な歴史を感じさせて呉れ、暫く手を合わせ乍ら向かい合い、この坂東三十三観音巡りの無事結願をお願いしました。又本堂裏にお地蔵様も祀られて居り、お参り手を合わせて来ました。


このお寺山門に立派な阿吽の金剛像が祀られて居ますのに参道入り口にも石造の金剛像が寄進で建立されて居たほか多くの石仏像が建立祀られて居ました。



2015年01月05日
坂東三十三観音巡り第10番札所正法寺をを訪ねて
さいたま市岩槻慈恩寺観音を後にして第10番札所東松山の正法寺に向いしました。慈恩寺からは高速道でなく出発前に多少不安を持った16号線を経由して東松山を目指したが、カーナビの指示に従い左右に路線変更する際に方向指示器出すと直ぐ入れて呉れて運転が非常に楽で驚いた。都会の人の交通マナーは素晴らしいと思いつつ無事正法寺に着いた。


第10番札所正法寺は宗派は真言宗智山派御本尊は千手観世音菩薩,開祖は逸海上人創立は養老2年「718」
寺は物見山標高135メートル5月には「つつじ」11月には「もみじ」が全山を覆う。近郷きっての展望台に成って居り,筑波、三国山、秩父の山々,武蔵野の平野が眺望出来て多くの参拝者が訪れると云う事です。




正法寺にも多くの石仏像が建立祀られて居ました。
此処でも住職様の歓待を受けて感謝しつつ次の11番札所安楽寺に向かいました。


第10番札所正法寺は宗派は真言宗智山派御本尊は千手観世音菩薩,開祖は逸海上人創立は養老2年「718」
寺は物見山標高135メートル5月には「つつじ」11月には「もみじ」が全山を覆う。近郷きっての展望台に成って居り,筑波、三国山、秩父の山々,武蔵野の平野が眺望出来て多くの参拝者が訪れると云う事です。



正法寺にも多くの石仏像が建立祀られて居ました。
此処でも住職様の歓待を受けて感謝しつつ次の11番札所安楽寺に向かいました。